笠置町翠

 09:10

さすがにサラブレッドというべきか、あっという間に呼吸が整った。そしてなんでもないように「萩に行きたいって言ってなかった?」 と。真壁啓一(まかべ けいいち)はうなずいた。そう、確かに言っていた。しかしそれよりも多い回数、(意識して)「東京に…

 09:08

コーヒーカップを持ってコタツの脇に行くと、神野由加里(じんの ゆかり)は携帯電話の画面をじっと見つめていた。さっきからずっとこれだ。誰からのメールを待っているの? 二木克巳(にき かつみ)がそう問い掛けると、うん、と生返事で携帯を渡された。画…

 09:07

朝ご飯は食べない主義だったが、売店を見てたまにはいいかなと思った。最後になにか、京都駅でしか買えない駅弁を買っていこう。やっぱり旅は駅弁だと思う。コンビニでおにぎりやパンを用意したほうが割安だとはわかっているが、そこでしか買えないものは従…

 07:50

くらくら痛む頭を落ち着けようと水を口に含む。明らかに飲みすぎたのは、やっぱり仲間と別れるのがさびしいからだ。いろんなことを話して、いろんなことを聞いてもらった相手だ。命を助けて助けられた濃い付き合いをした相手だ。一年しか年上じゃなかったけ…

これが最後の日記になる。一一月一日から始まって、途中書いてない日があるとはいえ三ヶ月。自分の中でも日記をつけた最長記録だ。いろいろ勉強になった。書いておく、っていうのは頭を整理するためにいいな。この街を出ても、当然ウェブじゃないとしても日…

 21:05

いちばん話したい相手は、一番話したいからこそ長くかかると予想ができたために後回しにしていた。その結果がこれである。笠置町翠(かさぎまち みどり)は微妙に騒ぎの中心からずれたところですうすうと寝息を立てている。 その隣に真壁は腰掛けた。おーい…

 14:05

「あら」 「おや」 「わーい」 「・・・・」 京都駅前伊勢丹デパートの六階で三人が驚きの声をあげた。真壁啓一(まかべ けいいち)はデパートを歩く人間には似つかわしくなく空身でにこにことその三人を見ている。ちょうどよかった! という笑顔になにがだ…

 09:07

ドアベルの音には予感があった。覗き窓からはそのとおりの男の顔が見えた。 「毎度」 この男がここ京都で染まった唯一の言葉遣いだ。みんな多かれ少なかれ、とくに北陸や中部、そしてなぜか東北の出身者は一様に語尾に「〜や」がついていく中でこの男だけは…

 13:35

ゴンドラはひっきりなしに上下動を行っていた。積めるだけの作業員を積み込んだカボチャの馬車は最上層に行き、そこでは五人を二部隊で守る体制ができている。作業員の数は残り10名。一人減るごとに星野幸樹(ほしの こうき)は肩の荷が下りていくのを感じて…

 11:04

一体何匹いるのか。数度の突撃を受け止め跳ね返し、疲労で朦朧としている頭で思った。隣りでやはり肩で息をしている笠置町翠(かさぎまち みどり)が「ちょっとごめんなさい! 休ませて!」 と叫んだ。俺もそろそろ休むか。しかし理事の娘が抜けて弱体化する…

 07:08

葵ちゃん! と嬉しそうな声がして真壁啓一(まかべ けいいち)はそちらを見やった。そこにはそろそろ壮年を過ぎようかという男性が一人立っていた。笠置町葵(かさぎまち あおい)に向かって笑顔を向け久しぶりだなあ、大きくなってと肩を叩いている。葵もそ…

 10:30

男の子なら誰だってあこがれる職業があると水上孝樹(みなかみ たかき)は思っている。「運転手さん」がそれだ。それもタクシーなどではなく電車やバスといった巨大なもの、飛行機や船という非日常的なもの、そして工事現場の機械を操作する姿も子どもの心を…

 08:20

洞窟というのだから富士のふもとの風穴や氷穴を思い浮かべていたが、それは良いようにも悪いようにも裏切られた。あれほどには狭苦しくなく、電気が完全に通っているので暗くもないことは嬉しい予想外だった。しかしライトは両側の壁から照らされるために自…

 19:42

気をつけてね、と伝えて下川由美は受話器を置いた。昨日帰ってきたかと思った恋人は今日の昼番が終わった後また新幹線で京都に向かい、到着したとの連絡だった。今日は夜番なので昨日の夜恋人が職場に顔を出したときにちょっと話しただけである。その声がえ…

 08:02

離れた床で柔軟をしていると、視界に見なれたブーツが入った。顔を挙げると仲間の女戦士である笠置町翠(かさぎまち みどり)が見下ろしている。当然のようにツナギに身を包んでやる気十分だった。 「真壁さん、聞いた? 賞品がつくって」 「へええ。どんな…

今日は八時起き! もう本格的な探索はないのだと身体が知ったからなのか、モルグで六時に出て行く探索者たちの目覚ましや準備の音にもまったく邪魔されず眠っていられた。身体の方もきちんと早起きして動かないと命に関わると知っていたのだ。だから命の危険…

 21:21

何度目かの深呼吸。それでも指先の震えはとまらない。伏せた視線の先に組まれたそれをじっと見つめるそぶりで拒絶しておきながら、肌は外界のことを懸命に探っていた。ちらちらと視線が送られてくることを感じる。そのたびに心が痛む。その視線、おそらく心…

仲間うちでの了承も取れ、いよいよ日記の迷宮街開放。ここでは親しい人以外には単に掲示板に書き込むだけで済まし、俺の最終日二六日までは苦情を受け付けることにする。ここでいう数人の親しい人というのは真城さんと津差さん、あとは掲示板を見ない可能性…

普通夢なんてものは起きて十秒も覚えていないもの(少なくとも俺はそうだ)だけど、その朝のいやーな汗にまみれた夢ははっきりと覚えている。第四層を上から見下ろしていた。葵らしき真っ青のツナギをつけた誰かが誰かを抱き起こし、覆い被さる青柳さんの黒…

 23:02

北酒場の一隅、長方形の卓が並ぶ個所で目当ての二人を見つけた。部隊の仲間の戦士である真壁啓一(まかべ けいいち)はすぐに自分に気づいたらしく、ジョッキを持つ手を上げた。その隣りでは姉の翠がぐったりと突っ伏している。笠置町葵(かさぎまち あおい…

 22:57

『あいよう、真壁です』 「翠です」 『うん、どうした?』 「明日ヒマ?」 『お寺めぐり』 「USJのチケットがあるんだけど」 『あ、行きたいな』 「孝樹兄ちゃんにもらったの。由美さんが来れなくなったからって」 『・・・』 「真壁さんと行って来いって…

 22:37

『もしもし孝樹?』 「おう、もう京都に着いたか?」 『それなんだけどさ、実家の用事ができちゃってそっちに行けなくなっちゃったよ』 「あら。なんか大変なこと?」 『ううん、父上が娘と一緒にいたいっていじけてるだけ』 「いやそりゃ大変なことだろ。嫁…

今日から迷宮街内部限定で日記の一般公開だ。とりあえずは部隊の仲間たちにパスを教えて見てもらっている。みんなにやにやしたり奇声をあげながら読んでいた。まあ、読み返してみると密度濃く行動した相手は翠以外にはいないし、彼らには懐かしい日々を再確…

 06:13

遠ざかる背中に何も言えずに見送ってから、殴られた頬に手を当てた。痛みはなかったが、それ以上に罪悪感が心を蝕んでいた。 「いやあ、珍しいもの見せてもらったよ」 真壁啓一(まかべ けいいち)はぎょっとして周囲を眺め渡した。誰もいない。視線を下げる…

 23:42

もう何度目か忘れたくらい発信ボタンを押した。返ってくるのは相変わらずの呼び出し音だった。ため息をつきもう一度リロードのボタンを押す。相変わらず、昨日の日付の日記が再表示された。 携帯電話を繰り、一つの電話番号を表示させた。しばらくじっと見つ…

 18:03

トン、トンとキーボードの端を指で叩いている。この椅子に座ってから一五分、いつもなら一日分の日記を書き終えて席を立っている頃だ。しかし今日は一文字も書くことができずにいた。大きく伸びをして、真壁啓一(まかべ けいいち)は視界の隅に立っている人…

 14:35

会話をしたことはなかったが面識はあった。先月の半ば頃、探索者の救助にすこし協力した際にその場にいたからだ。その翌日にも妻と食事をしているときに女帝真城雪(ましろ ゆき)にくっついて挨拶にきたはずだ。理事の娘で――名前は、翠。そう。笠置町翠(か…

出稽古シリーズ第二弾は笠置町翠(かさぎまち みどり)。感想は 「やっぱり他の仲間が頼れると楽だね!」 くっそー菓子折りか? 菓子折りでも持っていけばいいのか? 昼前からは雨が降ったけれどどんよりと曇りの朝。いつもどおりにジョギングに出たら、久し…

 10:47

自動ドアを通った笠置町葵(かさぎまち あおい)を雨の匂いが迎え出た。おっと、と思う。朝には振り出しそうだった雨、念のためにリュックに折り畳み傘を入れてよかった。自分は。自分を待っている男は――いた。かなり大きな折り畳み傘をさしてぼんやりと車の…

今日は進藤くんと海老沼さんに稽古をつけてあげた。進藤くんはその体格もあってまったく問題なし。運動神経もいいみたいだし、あとは慎重に場数を踏むだけだろう。でもまあ、改めて思うのは津差さんのすごさだな。巨大な進藤くんよりも津差さんはまだ七セン…