(前略)迷宮街の誕生は果たして人類史上初めてのことだったのだろうか? それは明らかに最初のことだったろうが、迷宮の出現という現象はこれまでに幾度も見られた。もっとも有名なものといえば『オデュッセイア』の中でイタケの国王オデュッセウスが賢者テイレシアスから助言を受けるために冥府に降りた話があげられる。日本のイザナギの冥府行、あるいは同じギリシャであってもヘラクレスの冥府行がいわば「優れた個人の冒険譚」であったのに対しオデュッセウスのものは軍事組織によるものである点で明らかに相違している。オデュッセウスは「その智謀神にも勝り」「城市を毀つ」明らかな勇者として描かれているが、冠絶たるのはあくまで知力であり個人的な武勇ではなかった。ゆえにオデュッセウスの冥府行は「英雄不在の」冥府行ということができる。
「英雄不在」という点は現在京都で行われている探索活動と非常に酷似していた。この街の探索者のうちに、英雄と呼ばれるべき存在は一人としていなかった。彼らはしばしば些細なことで探索行を放棄し、それは「各個人の自由意志」という考えの元に認められた。人類がいまだ成功していなかった地下世界への侵攻、それに牛歩に近い速度とはいえ成功しつつある(すくなくとも頓挫していない)という現状の価値を彼らは認識していなかった。彼らが気にしているのは今日の稼ぎと明日の自分の無事だけ、個人として自分が得るもの、失うもの、彼らの関心があることはそれだけだった。それでも歴史的な探索行は進んでいく。
それを可能ならしめたのは前述のとおりに個人の意識でも能力でもなかった。ただ怪物の死骸を金に替えるシステムの賜物だった。科学技術の進化によってかつてゴミ同然だった怪物の死骸に高価値が付加され、その結果最上層であっても一日に四〜五万円稼げるという状況が生まれた。以下の想像は答えを得るのに難くない。はたしてこの恵まれた経済的条件がなければ(義務感、英雄願望に頼るだけでは)、現在のように迷宮探索が継続しえただろうかと? 断じて否だ。
そして想像する。ホメロスの世界の英雄たちの前に同じシステムが提供されても彼らはそれに応じただろうかと? オデュッセイアの冥府行挫折(オデュッセウス自身はテイレシアスの助言を得ることこそ目的だったと語っているが、これは本人が言っているだけのことに過ぎない)と現代日本での漸進的継続を見比べると、ブローガンの以下の言葉を想起せざるを得ない。
「もちろんわれわれが時々、敗れたロマティストたちの側に共感を感ずることは自然で好ましいことである。しかしそのあとで、偉大な事業というものは高貴な英雄的な行為だけによって作られるのではなく、それよりはむしろ『中庸、注意深い勇気、適度の利己主義』に基づくことを学ぶのは必要なことだろう」
迷宮探索という偉大な事業が、英雄不在でしばしば度をすぎた利己主義を特徴とする国民性を持つ土地に発生したことはまさに天の配剤と言えるだろう。(後略)