『俺より前に後衛の死者は出さない!』
なんだ? このアナウンスは。
突然響き渡った拡声器の音をさすがにいぶかしみ葛西紀彦(かさい のりひこ)は顔を上げた。すぐ脇にしつらえられている放送席でマイクを握り締めた美女がこちらを横目で見ていた。ぽかんとして見ていると彼女はにやりと笑い言葉を続ける。
『そして俺は絶対死なない! だから後衛から死者は出さない!』
ああ、と苦笑した。ずっと前、救援に駆けつけた真城雪(ましろ ゆき)に対してこう言って胸をはったことがあったからだ。自分が覚えているのはその環境があまりに苛酷で、それを生き延びたからにはもう死なないと信じられる思い出だったからだ。
まだこの街に来て半年くらいだったころ、それまでの部隊がある女性をめぐった仲たがいから分裂し、経験の浅い代打を加えて降りた第二層のことだった。主軸となる戦士が頭部を強打して昏倒し、救援として分裂のもととなった真城が駆けつけるまでの2時間、パニックに陥った部隊を実質彼一人で守りきった事があった。数度の敵襲をすべて一人で撃退するその地獄のような時間、負傷はしてもそれは苦行から開放してくれるような致命傷とはならずに失血で朦朧とする意識の中で葛西は悟った。自分はあきらめがわるいのだと。戦士としての優れた能力などない自分でも、しぶとく守り望みをつなぐことだけはできるのだと。
アナウンスにしんとなる場内、マイクの声だけが流れる。
『救援要請を受けてもその地点まで到達する所要時間が1時間を越えるようならば普通は救援を出しません』
葛西は目を閉じた。先ほどまで消えずにわだかまっていた不安感が消えていく。実力では完全に上の相手、どこをどう取ってもコンプレックスしか感じない相手であっても自分はただやれることを最後までやるだけだ。
『しかし二つの場合では別です。一つはこの街のアイドルであるワタクシ真城雪が遭難者に加わっている場合』
どっと笑い声が起きた。ブーイングがないのは人徳だろう。権力かもしれない。
『そしてもう一つは、この男葛西紀彦がメンバーにいる時です。この男がいる限り所要時間1時間は手遅れじゃない! 2時間は望み薄にもならない! 3時間だと逆に自力生還されて恩を売るチャンスを失うかもしれない意味で危険なのです!』
大げさな。アホか、と立ち上がり屈伸をした。
『五島部隊、尾崎部隊の二重遭難、三原部隊の捜索活動とこれまで地下では何度も過酷な状況が起きてきました。しかし、それを耐え切って後衛に一人も死者がいないのはこの男がいるから! 最精鋭の後衛12人にアンケートを取れば確実な頼りになる男No.1! 女性探索者50人にアンケートをとれば確実な抱かれたくない男No.1! 星野部隊からはいぶし銀葛西紀彦の登場です!』
張り詰めるべき気分をすっかりほぐされて大笑いしながら、なるほど、抱かれたくない男No.1だったのかと納得した。道理でこの半年ほどずっと女に縁がないのだろう。すっと試合会場の向かいに視線を送ると、『抱かれたくない男』のランクインだけはどんな集団に参加してもありえないだろう美男子が苦笑していた。
全国のもてない奴の代表としては、やっぱり負けるわけにはいかないな。これから試合する相手がいやそうな顔で自分を見つめている。