最強トーナメント

ビニール袋がうるさく鳴る音は、めったに人の通らない深夜では目立った。どれだけ腕っぷしに自信がありこの街の人間を信頼していたとしても、結局は女である。一人で闇を歩くのは怖い。鋭敏な聴覚を手元のポリエステルが邪魔している今はなおさらだった。送…

[怪物情報]⇒[日付順に並べる]とクリックする。ずらっと並んだタイトルを眺めたが、一番上にある書き込みは昨日、20日のものだった。明日からのゴンドラ設置作業に備えて第三層以下にもぐる部隊はほとんどが休んでいるはずだ。まあそれは当然か、と津差龍一郎…

隣りに座ってきた男に向けて、屈託のない笑顔がすんなり出てくる自分に葛西紀彦(かさい のりひこ)は驚いていた。別に嫌っていたというわけではない。もともとそれほど近しくする関係でもなくなんとなしのよそよそしさがあっただけだ。自分自身に対して社交…

言葉をかき消したものは、常日頃喧騒に満ちたこの場所であっても珍しいものだった。拍手と喝采である。その意外さに思わず中村嘉穂(なかむら かほ)は振り向いた。見ると、一角でよく見かける女探索者がなにやら声を張り上げている。名前だろうか? 誰かを…

「ええ? いいよ別に」 従兄の断りの言葉を笠置町葵(かさぎまち あおい)は意外に思った。双子の姉の笠置町翠(かさぎまち みどり)があげようとしたのはたかが遊園地のフリーパス券であり、2枚で1万円だとかそこらのものだったはずだ。それは数日前に従兄…

苦笑とともにもらした呟きは同席している人間に意外に感じられたらしい。双子の妹である笠置町葵(かさぎまち あおい)が代表して問いかけてきた。 「国村さんがちゃっかりしてるって・・・どういうこと?」 笠置町翠(かさぎまち みどり)はその言葉に妹の…

探索者に対する批判でもっともふさわしくないものは吝嗇だったが金銭に無頓着であるわけでは決してない。明日をも知れぬ身であるから金には恬淡としており、高額の出費を担うことも高額の収入を求めることもごく自然に身についた態度だった。屠った生き物の…

小さなガッツポーズを見て意外を感じた。佐藤良輔(さとう りょうすけ)の目の前で同じ賞品である遊園地のチケットを受け取る娘は、その仲間の日記を読む限り恋人はいないと思っていたからだ。それでもペアチケットを喜ぶからには誰か一緒に行く相手がいるの…

常に明確に未来の筋書きを予想する。 その筋書きをもとに最適な自分の行動を計画する。 実際の事態の推移はもちろん予想通りにはいかないから、どのようになぜ異なったのかを確認する。 これは大なり小なり社会人の大半が意識していることだったが、その度合…

ジョッキがぶつかる音は常よりも大きく思えたが、常盤浩介(ときわ こうすけ)の心のうちには納得している部分もある。四角いテーブルの一角を占めた四人は四人とも目の前で激戦をたっぷりと見せつけられたのだから。うち二人、青柳誠真(あおやぎ せいしん…

「・・・黒田くん」 その声だけを聞いた者がいたとする。そしてその人間が本日この街で剣術トーナメントが行われたとだけ知ったとする。それでも絶対に、その誰かはトーナメントの準優勝者とドアの向こうからもれてくる声の主を一致はさせるまい。黒田聡(く…

ありがとうございました、と下げられた頭に笠置町翠(かさぎまち みどり)は微笑んだ。昼ごろからすっかりお騒がせだった女子高生たちももう帰るという。ほっとするような、なんだか寂しいような複雑な気持ちだった。 もともと、試合後のこれからこそ彼女た…

礼を終えて振り向いた黒田聡(くろだ さとし)の身体が揺れた。ああ、音ってのは空気の振動なのだなと実感させてくれるほどの拍手と喝采が自分と国村光(くにむら ひかる)に向けて降り注がれている。左肩の付け根はずきずきと痛んだけれど、自由になる右腕…

国村光(くにむら ひかる)がその場に倒れこんだ姿を見て鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)は思わず立ち上がった。決定打がなかったためにこの場での即座の治療術は必要ないかと思っていたがもしかしたら国村の容態は悪いのかもしれない。試合場に駆け込もう…

「降参してください、国村さん。今の俺は寸止めができません」 静謐な表情をしたままのその言葉に国村光(くにむら ひかる)は自分の敗北を悟った。うそをつける顔ではなく、であれば、うかつに動かれたら相手を殺さずにはいられない境地にまで黒田聡(くろ…

何をしたいかはもう決まっていた。そのために何をするべきかの計算ももう済んでいた。その計算式はすべて破棄し結果だけを心に刻み、そのために行動に迷いは起こさない。黒田聡(くろだ さとし)はただ彫像のように木剣を振りかぶりこ揺るぎもしない。 向か…

すでに三度の突きを放っており、勝負はまだついていない。黒田聡(くろだ さとし)はさきほどの突きの射程距離に怖れをなしたのか大きく跳び退ってかわすだけで反撃まではできないようだった。そうでなければ困る、と国村光(くにむら ひかる)は焦りをかす…

真壁啓一(まかべ けいいち)が大きく息を吐き出してようやく、縁川かんな(よりかわ かんな)は自分の身を縛る何かが消えたことに気づいた。それまで行われたのはたったの一動作だった。国村という男が突き、黒田という男はそれをバク転でかわすという。そ…

開始の声と同時に構えたのは、国村光(くにむら ひかる)の奇襲を恐れてのことだ。とはいっても開始と同時に切りかかるといった簡単な話ではない。こちらの気が満ちている状態でも間合いにいればすべての行動が奇襲になるのが目の前の男だった。 戦闘におけ…

光の中に突然うかびあがったひょっとこのお面にぎょっとした。凝視する中で白い手がそのお面をはずすと理事の娘で自分が下した女剣士の笑顔があった。そうか、この娘との勝負も大変だったと黒田聡(くろだ さとし)はしみじみと思う。手にしたお面をつけて登…

目を閉じたままでも周囲には気を配っており、平べったい音を上げるスリッパの足が自分をめがけてやって来ることに気づいていた。だから、来客が声をかける前に国村光(くにむら ひかる)が顔をあげたことで神田絵美(かんだ えみ)は驚いて立ちすくんだ。 「…

心配していた太腿は骨折などしていなかったようで、国村光(くにむら ひかる)はほっと安堵のため息をもらした。さすがにぶあつい筋肉に守られているだけのことはあり、ここに比べたら右胸の方が怪我としては重いと触診を終えた今ならばわかる。それなのに試…

小声で名前を呼ばれ、黒田聡(くろだ さとし)は薄目を開いた。それだけの動きでこめかみが鋭く痛んだが、顔をしかめたことを察したのだろうか? 見下ろす人影の表情が曇ったことに気づくとあわてて笑顔を浮かべた。気のせいかもしれないが、顔を笑顔に保て…

ああん、もう! と苛立たしげな声に鹿島詩穂(かしま しほ)は振り向いた。訓練場への入り口、靴を履き替えるべき個所で彼女の上司である迷宮探索事業団の理事、笠置町茜(かさぎまち あかね)が立ち往生している。一瞬だけ考えて答えに思い当たった。 「茜…

真壁啓一(まかべ けいいち)の通っていた高校では二年次〜三年次の体育の授業として剣道と柔道を選ぶことができたが当然のように柔道を選んだ。理由はたった一つで共同使用される面や篭手が臭かったからだ。それでも剣道クラスを選んだ生徒たちが(授業の直…

歩いていたら後頭部を叩かれて、鈴木秀美(すずき ひでみ)は非常に驚いた。普通の人間とはほんの少しだけ違う家庭で育った彼女は無意識のうちに周囲に気を配る癖がついており、自分に向けて物体がある程度以上の速度で向かってきたら警告が鳴るようになって…

室内の様子に佐藤良輔(さとう りょうすけ)はぎょっとした。ここは現在剣術トーナメントが行われている屋根つきの訓練場に隣接する事務施設で、二階には基本四職業の各教官の教官室が並んでいる。それぞれの部屋は自分がこの街で借りている2LDKの二部屋…

その女性に笑顔で呼ばれるといやな予感がする、とは恋人である常盤浩介(ときわ こうすけ)の述懐だった。特別に頼むという雰囲気のないままいろいろなものを命じるような人だから、わざわざの笑顔の代償はなんだろう、という話らしい。自分にとっては優しく…

首の稼動範囲ではかわせない。至近に迫った神足燎三(こうたり りょうぞう)の表情、実はまだ一本残っていた(いったい、どこに!)木刀を掲げたその腕の位置、距離とこれまでの経験から予測される木刀の速度をすべて考え合わせての国村光(くにむら ひかる…

お前ら、声がでかいぞ。神足燎三(こうたり りょうぞう)は背後から聞こえてきた会話に苦笑した。自分の位置では一言一句もらさず聞こえたその会話、自分の残弾数を正確に看破したその会話はもしかしたら向かいに立つ男にも届いたかもしれない。女帝との会話…