ビニール袋がうるさく鳴る音は、めったに人の通らない深夜では目立った。どれだけ腕っぷしに自信がありこの街の人間を信頼していたとしても、結局は女である。一人で闇を歩くのは怖い。鋭敏な聴覚を手元のポリエステルが邪魔している今はなおさらだった。送っていくか、という申し出に甘えればよかった、と後悔しつつ真城雪(ましろ ゆき)は歩を早めた。
常宿である『宮殿』に向かって歩く夜の道だった。東西大通りに面した事業団事務棟脇から北へ伸びる小道は美観に配慮した街区だけあって街灯の光も控えめで、一つの電灯から次の電灯へと進む足元の影は、かなり長く伸びてからようやく背中側へと切り替わる。
ふう、と息を吐いて立ち止まった。
コートのボタンを一つはずし、その中に手を差し入れる。引っ張り出されたものは細い金の鎖で、つながれて出てきたのは弱い街灯を反射する青いきらめき。白い手のひらに包まれたそれは大ぶりなロケットだった。ぱちりと開いた内側には一枚の写真が埋め込まれており三人の子供が並んで笑顔を見せていた。二人の女の子のうち一人は中学生くらい、残りは小学生くらいの男の子と女の子である。肩を組んでいるのか、頬をくっつけあって写真になんとか納まっていた。真城は微笑んだ。
「うまくいったみたいだよ」
三つの笑顔のうち、たった一つ男の子のものに笑いかけた。強気で朗らかな少年はそのまま真城の脳裏で成長し、落ち着きと誠実さとやさしさを加えたものになっている。大きな青あざは変わらない。
しばらく前、ある提案を探索者中に実現させるために真城が奔走していたことがあり、この写真の子供の面影を残している男はその交渉にぴったりとくっついてきてくれた。何度ヤケになろうとしたかわからないが、暴発しなかったのはその男のお陰だと思っている。
二人で飲んだ夜のことを覚えている。いろいろなことを話したうち、彼は「模擬大会のようなものができないか」と言ったのだった。地下で戦うような緊張感をそのまま地上に持っていくには、真剣に戦えるような巨大な名誉をかけてトーナメントでもやったらどうだろう。何が何でも命を削って精進しなければならないことでもないし、落ち着いて他の人間の戦いを見るだけでも十分すぎるほど参考になるのではないだろうか。
真城は真剣に聞かなかった。その時の彼女にとって、探索者全員の能力の底上げなど考える余裕はなかったからだ。いいんじゃない? でもアタシは音頭とらないし、地下に潜る予定をずらしたりもしないからね。つっけんどんな言葉には、なかなかうまくいかない説得に対する苛立ちが棘となっていたことだろう。しかし相手は困ったような笑顔を浮かべただけで、旗を振るつもりはないかとだけ、残念だとだけ言ってその提案を引っ込めた。そして次の夜にはもう会えない場所に行ってしまっていた。
実施してみた今振り返ると、確かに彼の言うとおり効果はあったのだとわかった。それも、想像もしていなかったほど大きな効果が。津差龍一郎(つさ りゅういちろう)という、まだ未熟だが将来的にこの街で屈指の存在になることが確実な男の自信ありげな言葉を思い出してくすくすと笑う。そしてそれを聞いた古参の戦士たちの表情も。でかいだけの男がしゃらくさい、という表情は大人気なくしかし頼もしげで、彼らもまた大事なものを今日だけで見つけたのだろうと推測できた。
「今ごろアンタが戻ってきても、もう黒田くんには全然かなわないんだからね。お願いだからまじめに稽古つけてくださいって怒られちゃうよ、きっと」
だから帰ってきてよ。そう呟いたが写真の中の笑顔は動かない。その写真の中、左端にいる自分と右端のその少年との年齢差は1年、自分が年長だった。ずっと変わらなかったその数字は、これからはもう増えるだけなのだ。
軽やかな音を立ててロケットを閉じ、もぞもぞとブラウスの中に戻した。夜の風にすっかりと冷やされた金属が肌に触れ、思わず声が漏れてしまった。ばつの悪い思いを押し殺しながらあたりをうかがう。誰にも見られている様子はなかった。そして空を見上げた。冬の乾燥した空気、そして京都の中心から微妙に離れたこの場所では空がとても広く近く感じられる。流れ星見えるかなあ、としばらく口をあけたまま星の海を眺めていた。
うう、寒い寒い。今日はこっちの部屋で寝ようかなあ。あっちの部屋は布団薄いし、セリムも夜遅いとあんまり遊んでくれないし。
数十秒経ってあきらめて、指が痛くなっていたビニール袋を持ち直し、歩き出した。アスファルトをブーツのかかとが叩く音が小さくなっていく。


背中を見送る空、小さな星が一つ流れた。
 
 

和風Wizardry純情派 最強トーナメント 終