午前からみっちりと運動。それにしても身体を動かすことしかしていない。翠の部屋に置いてもらっている本はまったく手についていない。今日のようにブックオフを訪れればまずハードカバーのコーナーを覗いていた自分はどこに行ってしまったのか。ちなみに翠は俺の買った本を読んでいるらしい。短大での専攻は家政学と言っていたにしては、高坂先生の本なんてよく理解できるものだと思う。現実主義的な思考法をしている彼女にはなじみやすいのかもしれない。
その笠置町翠(かさぎまち みどり)との関係に急展開が訪れた。なんと、今日、午前の訓練が終わる直前、俺の剣が彼女の肩に当たったのだ。まだ当たらなかったのか? と逆に驚かれそうだが、情けないことにすべてかわされていたのです。第一層とはいえ実戦の経験を積み、たとえば最近この街にやってきた戦士たちと打ち合うことで自分の上達具合は十分に実感できていたが、この俺より10センチも身長が低い一才年若の娘との差だけは逃げ水のように縮まらないのではないかと思っていたから。今日の達成感は限りなく大きい。
それも、彼女のミスじゃない。神崎さんとの稽古でわかったのだが俺には足を使ってかく乱するスタイルの方が性に合うしうまくできる。となれば必要なのはそれを迷宮探索のあいだ中ずっとできる体力を身につけることで、訓練でもバテるのを覚悟でその戦い方を採るようにしていた。それともう一つ、神崎さんからヒントをもらったことだが、相手の可動範囲を常に考えることだ。とはいえ翠のようなレベルの違う相手の関節ごとの動きなどとても読みきれるものじゃないが、重心がどこにあるかくらいはわかる。これがわからないと後輩の床運動を指導できないから学生時代からこの感覚は磨いてあったのだから。そういう目で翠を見れば彼女も同じ人間、足が三本あるわけでも空に浮けるわけでもない。そして俺のフェイントの足払いを飛びのけて重心が下がったところを渾身の突きを当てた、ということだった。
翠の反応ははじめ呆然とし、そのあとは満面の笑みで俺の上達を喜んでくれた。
そして痛みに悲鳴をあげた。訓練場では人間相手のこととて力をなるべく抑えるようにしているし、訓練場で貸し出されているツナギは迷宮内部で使うものとは違い打撃吸収に優れた生地を使用しているので骨折などはありえないが、はだけた肩には青あざが残っていた。相当痛かったことだろう。それでも怒ることなく喜んでくれていた。
しかしプライドは別だったようだ。彼女は笑顔ですごい上達だ、そのスタイルをどんどん深めていくといいとアドバイスしてくれたあとで、これで私も本気を出せると言ったのだった。
捕まえたと思った逃げ水は消えるものなのだろう。あっけなく切なく。


徹底的に駆使したはずのフットワークにすべてついてこられるという拷問のような訓練が終わったのが午後二時。その後、自転車で南に漕ぎ出した。目的は上述のようにブックオフ。近くの横綱ラーメンというところでラーメンも食べた。京都はここのようにとんこつしょう油のラードたっぷりというラーメンが主流のようだ。チェーン店のようだけど大変おいしかった。安いし。
さてこれから『はじめの一歩』を読もう。