21:15

[怪物情報]⇒[日付順に並べる]とクリックする。ずらっと並んだタイトルを眺めたが、一番上にある書き込みは昨日、20日のものだった。明日からのゴンドラ設置作業に備えて第三層以下にもぐる部隊はほとんどが休んでいるはずだ。まあそれは当然か、と津差龍一郎(つさ りゅういちろう)は納得する。
地下に潜らない日の探索者の日課にはいくつかあった。各人思いのままに訓練することもそうだったし、人生を謳歌することもそれに含まれるが同じくらい重要なものとして、他の部隊がもぐって得た発見について掲示板に書き込まれたものを読み込むというものがある。敵を知り己を知ればなんとやらという言葉もあり、己を知ることは日々の訓練のなかで、そして敵の知識はこうやって共有している。かかっているものが自分と仲間の命なのだから、心得のある探索者で予習と知識の共有をないがしろにする者はいなかった。
どの探索者も大体30〜60分ほどの時間をかけて情報を仕入れる。それが今日は不要になった、ということで途端に退屈になってしまった。ギ、と体重を預けた椅子のきしみはそれがもうずいぶんとくたびれていることを実感させた。ここは迷宮探索事業団の事務棟の一階にある小会議室で、現在津差のほかに四名の探索者が思い思いに暇をつぶしていた。
「今日、書き込みなかったろう」
漫画を読んでいる背中が問いを発した。寺島薫(てらしま かおる)というその剣士は今日の昼に行われた剣術トーナメントで津差と戦った相手だ。実力ではまったく歯が立たず防戦一方だったが信じられない幸運で勝つことができた。もう一回やったら相手にならないだろう。なにしろ自分に背を向けている状態でクリック音だけで津差が何を感じたか把握していることをを驚く気にもなれないのだから。
「寺島さん、何を読んでるんですか?」
ガラスの仮面。誰だかの実家が改修するらしく、少女漫画が木賃宿に大量入荷されたんだ」
他の三人を眺めても同じく白とピンク色の本に釘付けになっていた。これじゃ話し相手もできやしない。
「ちょっとくらいならいいから暇つぶしを持ってきたらどうだ?」
この部屋にいる五人はなんとなく事業団の事務棟(もちろん職員は全員帰っているのでこの部屋以外は真っ暗になっている)に集まったのではない。警察力がないこの街で、探索者が非探索者に対して迷惑をかけた場合に取り押さえるための自警団を任命されているのだった。この部屋で0時まで過ごし、あとはポケベルを持ってそれぞれねぐらに帰る決まりとなっていた。基本的に探索者の善意で運営されているだけあって規律は厳しい。でも、と反論しようとすると寺島は手を振った。
「今日のトーナメントに出た奴らは全員血の気が下がってるだろうし、出てない術師たちは俺たちがどれほどの存在か身に染みてわかったはずだ。だから今日はみんなおとなしくしてるさ」
それもそうか、甘えるか、と立ち上がって向かった扉が手を伸ばすより前に開いた。うわ壁! と小さな悲鳴が胸の位置で起きた。
「おう、真城さんか。どうした」
寺島の言葉どおり、見下ろす先には真城雪(ましろ ゆき)が立っていた。アルコールがまわっているのかその頬はほんのりと赤い。しかしお疲れ様、と部屋の人間をねぎらう声はまだ落ち着いているようだった。
「津差さんに賞品のチケット渡しに来たのよ。あとはみんなに差し入れね。北酒場で適当なものを包んでもらったから。それとウーロン茶」
テーブルの上で湯気を立てる料理に歓声が上がり、男たちは少女漫画を脇に置いて集まった。真城がああ! と悲鳴をあげた。
「30巻から先! ここにあったのか!」
「昼ごろにもう運び込んでおいた」
しれっとした寺島の言葉に探し回ったんですよ、と悔しそうに答え、パイプ椅子に座り込んだ。どうやら読んでいくつもりになったらしい。
湯気の立つ食べ物がやってきたとなれば暇つぶしを探しに行くのはのちほどでいい。津差は傍らに置かれたウェストポーチから布でできた袋を取り出した。中からは短い菜ばしかと勘違いしそうなほど長い箸が現れた。それを見た寺島が苦笑したのはまさか食事があると思われないこのような場所にすら持ってきているからだろう。常識はずれの手のひらのサイズのために北酒場の割り箸ではうまくつまめない津差を見かねて、日曜大工が得意な探索者が袋ともども作ってくれたものだ。右手全ての指の太さ長さまで計測して作ったもので、しかも漆で仕上げされている。十年ぶりくらいに箸にストレスを感じず食事ができた感動のため、風呂場と布団の中以外の全ての場所、それこそ地下ですら持ち歩いている次第だった。
食べる者読む者それぞれの幸せな沈黙の後、真城が津差に呼びかけた。
「今日の大会はどうだった? 津差さん」
そうだなあ、とまず答えてから少し考える。試合はベスト8まで、大健闘だったがこの充実感の原因は結果に関してもものではないだろう。何を自分は得たのか?
「とてもいい経験だったな。今日だけでより強くなった気がする。もちろん俺だけじゃなくてみんなそうだと見てわかるけど」
寺島が頷いた。理不尽な不運で格下に負けた彼にもまた得るものがあったことだろう。
「そうだな、またやりたいな。次の次くらいには優勝できる気がするよ」
おお! と男たちがどよめいた。彼らは全て第一期の戦士たちで、寺島は当然としてもまだ自分よりは道場勝負では強いだろうと思われた。その彼らにしては当然僭越と思われる言葉だったろう。しかし、今日のことは自分にたくさんのものをもたらしたと、そういう確信があったのだ。
「そっかー。うん、またやりましょうね!」
この街の権力者はアルコールで赤い顔でにこにこと笑っていた。本当に嬉しそうに笑っていた。