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懐かしいな、と三原俊夫(みはら としお)が思ったのはどうしてだったろう。懐かしさを呼び起こしたものが何かはわかっている。それは自分に投げかけられた津村さゆり(つむら さゆり)の挨拶の声だった。いや、かれこれ一年以上ともに部隊を組んでいる仲間だから挨拶の言葉自体が懐かしいのではなく、その言葉をこの時間に聞く状況が昔を思い起こさせたのだった。このところ、この二ヶ月ほどはまだ暗いうちに集合していたのだから。今日からは遅い時間にスタートする。
「おう。体調は?」
異常なしです、と微笑む女の目元はしかしひどく腫れており、黒目がちの瞳は真っ赤に充血している。三原はいぶかしく思った。何かあったか? その問いかけに津村はご存知なかったのですかと意外そうな顔をする。
「美濃部さんが昨日の探索で亡くなられました」
三原は絶句した。
「――美濃部がか。そうか。で、お嬢は?」
他に死者はありません。代わりの戦士として南沢さんが加入されるそうです。
そうかとだけ答え、開脚した右足の上に上体を投げ出した。お嬢が無事ならあそこは大丈夫だろう。それにしても、続くなこのところ。
津村はうなずいた。泣き腫らした瞳のこの娘は確か美濃部という戦士とは同郷で仲良くしていたはずだ。そしてほんの一週間ほど前に死んだある女性とも親しかったはず。この三ヶ月ほど、目立ったメンバーでの死者が出ていなかった探索行において、最近になってぽつり、ぽつりと再び皆が意外に思うような、有力探索者の死者が出始めている。探索事業が開始された初日に登録した三原と津村は、犠牲者の出現には波があることを経験的に知っていた。またこれからしばらくの間訃報が続くことになるのではないか。口には出さないがそういう不気味な予感がある。
「大丈夫か? 今日は休んでもいいぞ?」
いたわる言葉にまだ二十代前半の娘は微笑を返し、しかしはっきりと首を振った。私は腫れが引かない体質なんです。もう大丈夫です。それよりも、と表情を改める。
うちのマイナーリーグであるアマゾネス軍団と月原部隊に今週で二人死者が出たことになります。真城さんのところはすぐに補充が利きましたが月原さんのところはあれから休業状態です。マイナーリーグたちにもさらに下の部隊の面倒を見てもらったほうがいいんじゃありませんか?
「そして、その動きは一軍の私たちが率先して薦めたほうがいいと思います」
三原は何も言わず、パンダの配色のツナギをまとった仲間を見上げた。しばらくしていかにも気が進まない、というように呟く。人間をまとめるのがイヤでこの街に来たんだけどなあ。
「でも、好き勝手に死なせていたらいつまで経っても埒があきません」 娘の言葉は明らかな正義感をはらんでおり、それが三原の怠惰を吹き飛ばした。
「わかった。今夜にでも魔女姫と話してみよう。それと、今日から第二期の募集が始まるな? 素質のありそうな奴には声をかけて、初陣で死なないようにアドバイスするように呼びかけるか。具体的なところは任せていいか?」
わかりました、と微笑むその顔を見て、どうして懐かしさを感じたのだろうとぼんやりと考えた。第四層へ足を踏み入れて二週間、今日からは目の前の娘のお陰で移動時間が大幅に短縮される。状況は明らかに良くなっていた。しかしそれでもぬぐえない不安感があって、それが気楽に他人の後を追えばよかった昔を思い出させているのかもしれない。両足をそろえて前屈し、背中に小さなお尻の重みを感じながら長く細く息を吐いた。
「さゆり、そういえばお前あさって誕生日か?」
「あら、覚えていてくださったんですか?」
「今思い出した。しあさっての探索は一日伸ばすから、聡とどこかに行ってくるといい。魔女姫にもあわせるように頼んでおこう」
ありがとうございます、と相変わらず落ち着きながらもどことなく嬉しそうな声ににやりと笑った。しかしなんとなしの不安感は晴れずに目を閉じた。
 

まさか自分が自発的に日記をつけることになるなんて夢にも思わなかった。それなのに敢えてしているのは日々を書き留めておかなければならないという強迫観念じみた意識が生まれたから。その動機はなんといっても、現在俺がいるこの状況が稀有なものであり日本人の大多数にとってこの日記が興味深いものになるだろうという確信だが、それを圧して、認めたくないが、強い感情がある。明日には自分の存在が消えているかもしれないという。俺は今京都市北部は比叡山のふもとにできた『大迷宮』にやってきている。そう。政府が門戸を開いた迷宮探索隊の第二期に志願したのだ。
一昨日東京のアパートを引き払い、その夜は友人たちの壮行会(ほとんどの友人の認識ではお別れ会だったろう。その証拠に由加里は姿を見せなかった)で費やし、昨日京都入りした。昨日の夜は京都市のホテルに宿をとり、大迷宮施設(以後はここでの慣習に従って迷宮街と書くことにする)に到着したのが今朝の九時。まずは説明があるかと思ったが、いきなりふるい落としの試験が始まった。
試験は単なる体力テストだった。試験官――徳永さんという迷宮探索事業団の職員――によればこの程度の体力もない人間が中に入ったところで生還はおぼつかないという。半公務員とは思えない眼光の鋭さ、迫力に俺を含めた75人の来客は言葉を失った。
体力テストの中身はいたってシンプルで20キロの土嚢を背負ってぐるぐると運動場を歩きつづけるというだけのものだ。時速4キロの速度で九時間、50分ごとに10分の休憩と、途中で一時間の食事時間があったから実質六時間と少しになる。これは大変な重労働だった。20キロの土嚢は片手に下げられるものでも背負えるものでもないから肩にかつぐことになるが、片側に重量のかかる無理な姿勢を六時間以上も続ける経験など、俺を含めてほとんどの人間がしたことはないだろう。
迷宮街はこの不景気におけるゴールド・ラッシュと一部では目されており、客層は若者から中高年まで多様だったがそのほとんどが脱落していった。その中で俺の目を引いたのはなんといっても、俺と大差ない年齢と思える双子の女性だった。一卵性と見てとれる二人は成人男性でも音をあげる土嚢を、決して軽々ではなかったが身体全体の力を上手に利用しつつ保持し、歩幅の広い男たちに決して劣らないスピードで、俺たちとは比較にならない軽快さで歩いていたのだからたいしたものだった。他には身長が175センチあり決して背の低いほうではない俺ですら見上げる、おそらく2メートルは越えている大男がいた。この人とは夕食を一緒にとった際に名を訊いていて、津差(つさ)さんという。今年で27才、サラリーマンよりは身体を動かしていたいというよくわからない理由でやってきた人だ。大柄な体格にふさわしい男っぽい笑顔だった。あとは、俺と同じような体格の小寺という男も、危なっかしい足取りとはいえ無事にパスしていた。この男とは、小寺が疲労を紛らわせたいという希望もあって最後の一時間は世間話をしながら歩いていた。
七五人いた来客が17人にまで減ったすさまじいテストだったものの、俺はといえば決して悪くはなかったと思う。現在も特に疲労感はないし、歩いている途中では第一期の応募者である先達が合格に太鼓判を押してくれて、ぜひ自分を訪ねて来いと誘ってきたのだから。三原さんというその人は探索者の中でも一目置かれているのだと徳永さんが教えてくれた。そんな人に認められるくらいだから、決して悪いことはないのだろう。
試験が終了したあと、小寺と津差さんとで食事をとった。食事は『北酒場』と呼ばれている街の北側にある店で食べられるようになっている。定食だけなら迷宮探索者として登録していれば無料になる。俺たちはテスト生の証明書でパスできた。しかしアルコールは実費で生中が一杯450円だから市価より少し安いくらいだろうか。
小寺と津差さんとの話はお互いのこれまでや、ここに来る動機で終始した。それはそうだろう。今後どういうスケジュールで迷宮に潜り、どういうシステムで金を稼ぎ、何が目的となるのかまだ知らされていないのだ。そんな状況で未来のことを話し合ってもそれは夢物語にしかならない。津差さんの動機はすでに書いたが小寺は「就職先が見つからなかったから」とあっけらかんと話した。とりあえず俺が銀行の内定を辞退してきたことは言わないでおく。
今回俺が参加しているのは第二期募集で、半年前まで行われた第一期募集期間では累積で約一万五千人の人間が迷宮街を訪れたらしい。大半はテストに落ち、パスした者もじりじりと減っていき、現時点で探索している第一期応募者は200人ほどだという。そのためか北酒場は盛況だった。身体が資本だから就寝は早いだろうという予想とどうも様子が違うのだが、探索者は連日地下に潜るのではないらしい。一日潜って二日は休息と装備の手入れ、訓練にあてるのだということだった。つまり、200人のうちの120人は夜更かしができるのだ。週二日の労働で生活できるのだからすごいと思う。同時にリスクもすごいのだろうとも思う。
俺たちが北酒場を出る際に一つのニュースが入ってきた。それを聞いたから、一度宿(といっても俺たちは無料の大部屋だったが)で毛布に包まったというのに起きだして、こうして共有のパソコンでウェブ日記に登録してキーボードを叩いているのだ。どうしても、今日の記録を残すようにしないといけないと思ったから。
ニュースの内容は、三原さんの一行が全滅し全員死亡したというもの。ここでは人間は簡単に死ぬらしい。