二人同時に縛るのは、それが第一期屈指の探索者になるとやっぱりダメか。そう心中で苦笑してから神足燎三(こうたり りょうぞう)は新たにやってきた寺島薫(てらしま かおる)の顔を見上げた。年齢は自分より一つ下だったろうか? この街では高年齢に位置するその戦士はくだけた表情でどうだいと声をかけてきた。その脇で、これまで立ちすくんでいた神田絵美(かんだ えみ)が夢から覚めたような表情をし、そのままふらふらと立ち去っていった。その背中に対し申し訳なく思う。ついつい猫をじゃらしすぎ、ぐったりされたときの気持ちに似ていた。
「何が?」
寺島に問いかける。確かに寺島はどうだとしか訊かず、であれば何について尋ねたのか確認するのは自然なことだったろうがしかし寺島は面食らった表情をした。当たり前だ。今日一日この訓練場を熱気で満たした剣術トーナメントもいよいよ準決勝の第二試合、その出場者にとって目の前に迫った試合よりも重要なものがあるなんて誰も思わないだろう。寺島が面食らったのは、本当に神足が何について尋ねたのかを知りたがったと感じたから。もしかしたら――凝視する瞳が伝えてくる。もしかしたらあんた、本当にわかっていないのか? 口を開くより前に神足は答えを投げた。国村のことならいま困り果ててるところだよ。
「へええ」
寺島は興味深そうな顔をした。彼は迷宮街では珍しく、正規の剣術である日本剣道を相当なレベルまで修めた男である。その剣力を技術的に超えるのはこの街でも教官、理事の娘、二刀を使うサラブレッドだけとは衆目の一致するところだった。トーナメント自体はいいがかりともいえる不運によって早期に敗退したが序列で考えるならば次の試合のどちらに取って代わっていてもおかしくない実力なのだ。だからこそ次の試合、どちらの立場に立っても苦労することがわかっていたしそれを目の前で気にしていないように寝そべる男には興味を引かれていたし、なおかつその男の歯垣から『困り果てている』などという弱気がもれることには意外の念を禁じえなかった。
何を困っているんだ? どっかりと神足の寝そべる腹の脇にあぐらをかいた。神足はいやそうな顔をして身体をおこした。なんだろう? その表情と動きに違和感を感じる。
「国村は――」
違和感は言葉に吹き飛ばされた。国村は、この街で俺が一番苦手なタイプなんだよ。
「そうか? 純粋に剣の腕前で考えたらどうしたってあんただろう? 経験だって段違いだ」
国村光(くにむら ひかる)は第一期の二日目に登録した男だった。年月で考えれば相当に古い。しかしその経験を段違いだと切って捨てる根拠は寺島自身が同じく二日目に登録した戦士だからでもあるが、なにより目の前の男のキャリアを実感しているからだった。大半の探索者には漏れなくおとずれた長い休み――経済的に安定した頃に心身の疲れを強く感じ、この状態で潜ったら死ぬと弱気になることによって否応なくはまりこむ『夏休み』と呼ばれている無気力状態――がこの男には結局なかったことを知っているからだ。誰よりも長く、誰よりも密度濃く地下に挑み続けた、人間の形をした砦が目の前で座っている男である。その前には長い年季とはいえ週末だけ訪れている国村のキャリアなど比較にならぬものに思われた。そしてこの街の探索者なら激動の中で生死を分かつ一線はこれまでの経験からくるひらめきにあることを熟知していた。
寺島の目から見れば苦戦はしても負けはないだろうと思われる目の前の男――その男がどうしていま弱気をもらすのか。そりゃあよ、と神足は続けた。
「真剣にやれば勝つ可能性は高いさ。でもお祭りには勝ち負けよりも大事なものがあるし、俺の場合それはどうやってお客さんを楽しませるかだ。そして、国村には小手先のペテンは一切効果がない。あいつは人間の動きを手足ではなくて胴体の自然不自然で見極める。あいつは緑川の手品を全部見破るんだぞ、知ってるか?」
「あれをか――。胴体を見てか」
寺島は絶句した。彼は見破れないのだろう。神足はうなずいた。
「ペテンが使えないなら会場に細工するしかないが、さすがにお嬢にやったことをもう一度なんて恥ずかしくてこれから街を歩けない。何か、何か会場の客が驚く工夫を――」
「あんた、相変わらずだなあ――なんだ?」
疑問は神足の凝視を感じたからだ。重ねてのどうかしたか? という問いかけにも神足は答えない。
突然、寺島の手をゴツゴツして皮の分厚くなった手が握り締めた。毎朝毎晩1000回の木刀の素振りをしている自分よりもはるかに皮が硬質化している手のひらだった。
「そうか、お前がいたな」
「え、俺?」
「そういえばお前がいたな、寺島」
「え、俺がいたのか? 俺が何かしたか?」
神足は立ち上がり、邪悪ともいえる笑顔で寺島を見下ろした。
「ネタは決まった。これで面白くできそうだ。今度は客にもスリルを味わってもらおう」
客にも? 寺島はなんだかいやな予感がして、訓練場の一角へと歩く背中を追った。