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車両に乗り合わせた女性は目的地が同じようだった。決して美人ではないがほんわりと柔らかい印象が少し気になっていたが、出迎えてくれて手をつなぐ相手がいる女を追っていても仕方ない。それよりも、と男の方に意識を向けた。ひきしまった身体つきと立ちのぼる雰囲気は彼が通常ではありえない修羅場を経験していることを感じさせ、彼が迷宮探索事業団と契約している探索者であることを推測させた。年のころも自分と同じくらいだし、身体能力は高そうだが身のこなしはまだまだぎこちない。探索者でも第二期にあたるのではないだろうか。であるならば妹――鈴木秀美(すずき ひでみ)という名前でまだ18才――を見知っている可能性は高かった。
彼の名前は鈴木秀矩(すずき ひでのり)という。現在は22才、大学に入る際に二年間浪人したから現在で大学の二年生だった。父親に命じられてこの街にやってきた妹、もともと家族にそれほど頻繁に連絡するタイプとも思えなかったし、現在の進展を調べる限り身の危険はないだろうと思っていたから放置していたのだが、妹の同級生たちから心配する声が寄せられたので兄である自分が差し向けられたのだった。
――すごいと思えるような人間に出遭えたら戻って来い。
タツで鍋を囲みながらの父の言葉には秀矩もうなずくところがある。四年間の時間差そして性別による訓練の過酷さの違いは兄妹のあいだに大きな差をつけていたものの、妹の才能は身内ながら大変なものだと思っている。小太刀、投擲、格闘術(日本拳法合気道の合成のようなもの)、隠行、径脈の知識、医療。一を聞いて十を知るその成長ぶりはしかし、才能だけで納得できるものでもなかった。おそらく心底からこういった技術の習得が好きなのだろう。自分とは大違いだ、と苦笑する思いだった。秀矩は他人を壊すよりは昆虫の生態を調べる方が性にあっている。来年四月からはオレゴンでアリの巣の生態観察プログラムに参加するつもりだ。
妹の部屋にある時代劇などをたまに流し読みしながら、妹はこの時代に生まれてりゃよかったのになと思わないでもない。明らかに現代は、ハットリくん以外の忍者にとっては住みにくい世界になってしまった。食卓で娘が話す学校での出来事、その言葉からは友達(よく家に連れてくるが、最近の女子高生はおとな顔負けの色気だ!)が大好きなこと、毎日の生活が楽しいことは感じられるものの、出会う人たちに対する尊敬の気持ちは感じられなかった。そしてそんな毎日に心底退屈しているのが感じられた。
世の中にはまったく尊敬できない人間などない、と秀矩は知っている。妹がそれを感じられないのは、価値観の根底が身につけた技術――ひいては生命力や戦闘能力――におかれているからではないかと父と話していた。そうであれば、その価値観だけは広げてやらなければならない。それが父としての義務だろう。そうして父は未成年の娘を京都に追いやったのだ。生き死にの現場にあっては人間のありとあらゆる部分が際立つ。戦闘能力や生命力などとはまったく無縁の大きさ強さを娘が見つけてくれれば。父にはその願いがあった。
よし、と気を落ち着けて目の前の二人に後ろから声をかける。振り返った男の顔にはいぶかしげな、しかし気さくな表情が漂っていた。それが一瞬でこわばった。とっさに恋人を背中にかばう動きに彼女だけが怪訝な顔をする。すごいな、と秀矩は目の前の男を見直した。自然体でいたというのに、一目で自分の能力を感じ取ったのだ。よほど才能ある人間に囲まれているらしい。首の裏が見えるまで頭を下げ驚かせたことを詫びた。男の緊張が消えていった。
妹を探しに来た、と言い名前を告げたら男は期待通りに知っていると返答した。
「鈴木さんと同じ部隊の男とは友人でした。鈴木さんともなんどか食事をご一緒したことがあります。アパートの場所までは知りませんが、一緒にシェアしている人の電話番号は知ってます――」
受話器を耳に当て、数秒して顔をしかめた。ついで他の番号にかけたようだった。
「――ああ、翠? 真壁です。鈴木さんのお兄さんが鈴木さんにいらっしゃっているんだけど、彼女のアパートの場所わかる? ――うん? ああ、それは大丈夫だと思う」
ちらりとこちらを見る。
「どこからどう見ても鈴木さんのお兄さんだから――由加里? うん、もう回収した。ああ、悪いね。じゃあ街の入り口で」
電話機をたたみ、自分は部屋を知らないが、知っている人間に案内させるから一緒に行こうと言ってくれる。礼を言ってからどうしてそこまでしてくれるのかと訊いてみた。
「つらいもの見て落ち込んでるだろうけど、俺たちじゃ何もできないから」
つらいもの? いぶかしい思いは態度に出たか、再び男――真壁というらしい――が四肢を緊張させた。慌てて謝る。
「恥ずかしながら、妹からの連絡がないから様子を見に来たんです。友達にも一八日くらいから途絶えていると言いますし。よければ妹に何があったか教えていただけますか?」
真壁は沈痛な表情を見せてうなずいた。三人は並んで歩き出した。