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それではよろしくお願いします、と頭を下げると妹――鈴木秀美(すずき ひでみ)と同居している落合香奈(おちあい かな)という女性は心細げにうなずいた。あと一日でも一緒にいてあげたら、いいえ、お正月くらい実家に連れて帰ったら。妹の世話を億劫に感じているのではない、心から心配してくれている顔にもう一度頭を下げた。そして笑った。
「あれには今が正念場です。ご存知のとおり、あれは大変優れた地力をもっています。この苦しみを自分で乗り越えられないようならその地力が逆に妹をねじまげてしまう。心の弱い人間は強い力をもってはいけない。そして、誰だって自分ひとりで強くなるしかない」
昨日、久しぶりの兄の顔を見た玄関で妹は泣き崩れた。同室の女性が帰ってくるまで一時間くらいだろうか? 自分の胸にずっと顔を押し付けながらぐずっていた。夕食をいただいて、ベッドに入った妹にせがまれて部屋の片隅で毛布にくるまった。深夜の三時ごろだったろうか? 駅まで案内してくれた青年が語ってくれた一部始終を妹が自分の言葉で教えてくれたのは。全て話し終えて、自分がああしていればという遅すぎる後悔を全て吐き出して、ことんと眠りに落ちた。そして今にいたるまでずっと眠りつづけている。
「西野さんという方はとてもご立派だったようですね」
落合は虚を突かれた顔をした。妹の悲しみを、同い年の少年の死だけと直結させていたのかもしれない。もちろん悲しみの原因はそこだったが、心を砕くその衝撃の直前にでも西野太一(にしの たいち)という人物を目の当たりにしたことは妹を救うだろう。眠りに落ちる直前、私は西野さんのようになれるだろうかと問い掛けられた。心からそう願えばな、という言葉がその耳に届いたかどうかはわからない。しかし部屋を出る直前も寝顔の口元にあった安らかな表情を見れば、たとえ届いていなくてもいつかは自分で知るだろうと確信できた。
「鈴木の家の人間はこんなことじゃ折れません。落合さんも、遠慮せずにあれをどんどんこき使ってやってください。それも気晴らしにはいいでしょう」
彼女は、なんとか自分を納得させたようにうなずいた。