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おーい、と名前を呼ばれて縁川かんな(よりかわ かんな)は壁の時計を見上げた。おっと、放送が始まったみたいだわとココアのマグカップを持って部屋を出る。障子を開けたら自分と姉以外の一家九人がコタツにおさまっていた。揃いも揃ってミーハーなんだからと苦笑するが自分だって人のことを言えた義理ではないだろう。
「お姉ちゃん映った?」
タツに入るかあるいは火鉢を抱え込むかしてテレビを注視している家族たちのお目当ては、もう一人この場にいない姉のさつきだった。彼女は酔狂にも探索者となり迷宮街に住んでいて、今日のNHK特番には「背景で映ってるかもしれない。なんか宴会やってるとき隣のテーブルで飲んでたから」と看過しえない情報を送ってきていたのだ。
二週に一度は帰ってくるので姉の顔に飢えているというわけではなかったが、ブラウン管の中に知り合いが映るかもしれないという誘惑は家族の誰にも大きかったらしい。いつもは遅い父親もいまはコタツの首座を占めている。一人では少し余るそのスペースにかんなはもぐりこんだ。家父長の権力が強いこの家でこんなことが許されるのは末娘の特権である。父親が剥いていたミカンを断りもなく口に運ぶ。父は何も言わずに新しくミカンを剥き始めた。今度は自分が食べるものよりも丁寧に白い筋をとっている。母親が苦笑した。
見覚えのあるオープニング音楽が終わって、場面は体育館を思わせる板張りの空間になった。床には四角いマスを作るように何本も白線が引かれ、ぼやけた背景の中で幾人もの男たちが素振りをしたりストレッチをしたり打ち合ったりしている。焦点は最初、遠いところで腕立て伏せをしている男とその背中であぐらをかいている娘にあわせられていた。娘が抱えている木刀にかんなの意識がぴんと反応する。父親から渡されるミカンはペースを落とさず口に運ばれている。
上下動する娘の視線が一点に向けられ、そしてカメラに物問うような表情を向ける。かすかに頷いてから相変わらず上下動する背中で立ち上がり、軽く下で上下動をしている男を蹴った。下の男は五〇キロはあるだろう物体が自分を蹴ったにも関わらずにその動きに影響は見られない。男の人だっていってもあれはすごい、とかんなは感心した。
それにしても、明らかに演出されていることがわかってしまうその女性の仕草である。見ている方としては「これが探索者の普段の姿なの? 本当に?」と意地悪い気持ちを抑えられない。
白いマスの中に歩み入る女性、視線は先ほど見た一点に据えられている。そちら側の画面の端からもう一人の女性が現れた。同時にうわあ! と縁川家が揺れる。その女性はヒョウ柄だったからだ。最初に映っていた男女ともくすんだ灰色のツナギだったために、その華やかさは幾倍にもなって彼らを打ったのだった。そして――ちらりと兄の姿を盗み見る。呆けたように口を半開きにし、画面の中の美貌に見とれているその顔。横目で盗み見るそれにもっと若いある顔が重なった。塾での授業中、その塾でも一・二を争う可愛い子が黒板に答えを書くときに自分のとなりに座る男子生徒が浮かべる表情だった。
ええいこんちくしょう! 男の子ってのは女を顔だけでしか判断しないんだからもう!
最初に画面に映っていた野暮ったいツナギを着た女性もかなり整った顔立ちだったが、そういうことを全て無視してかんなは彼女の応援をすることに決めた。画面の中で二人の女性が向かい合い、挨拶代わりに木剣と木刀の切っ先を軽くぶつけあう。