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この匂いは――セリムはぱちりと目を開いて家から飛び出した。いつも遊んでくれる人間だ。ブラシをかけてくれて、家を掃除してくれて、たまには散歩に連れて行ってくれる。食事を与えてくれるご主人様と同じくらい大好きな人間だった。
「セリムー。元気?」
おや? と思う。いつもならいきなり取っ組み合いしてくれるのに。顔をぺろりと舐めてみるとされるがままになっていた。おかしいな。と、大好きなその人は自分の首筋に顔をうずめた。そして小さく震えだした。
「セリムー。今日、ここにいていい?」
いつもは一緒に遊びながらも圧倒的な強さを感じる相手だった。でも今夜は違う。か弱くはかなく、守ってやりたくなる。首筋を甘噛みして家の方に引っ張ろうとした。相手はきょとんとして自分の身体と家とを見比べた。
そしておずおずと小屋の中に入ろうとする。お尻がつっかかったが、何とか中で向きを変えることができた。セリムも苦労してあまったスペースに入り込む。
窮屈な中で並んだ。尻尾でぱたりぱたりと腰のあたりを叩いてやる。狭い中で暴れたからすっかり乱れた髪を舐めて整えてやった。相手はされるがままになりながら、低く柔らかく自分に話し掛けてくる。何を言っているのかは当然わからない。


翌朝、いつものようにジョギングをしようと通りがかった落合香奈(おちあい かな)は、犬小屋の中で黒い犬と並ぶ自分たちのリーダーの寝顔を見つけて立ちすくむことになる。