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好きか嫌いかで分けるなら好きの部類に入る男だ。それでも娘たちが結婚したい相手として連れてきたとしたら悩むところでありやんわりと反対するだろうというのが、迷宮探索事業団の理事である笠置町茜(かさぎまち あかね)が死体買取の責任者である後藤誠司(ごとう せいじ)に対して抱く感想だった。好もしい、とは思う。酷薄な容貌を見慣れることはないだろうが同時にこちらを怖がらせまいとする気配りを伝えてくることで相殺しているし、何よりこの男は嘘は言わない。もちろん秘すべきことは黙っているはずだが事業団側でも調べれば手に入るような情報は自分に都合の悪いことであろうとも伝えてきた。そして請け負ったことは必ず実行する気骨がある。前任者は好々爺の表情をしながらそのあたりがけっこう油断ならなかった。そのいい加減さが夫とは妙に馬があったようだったが、自分にとっては的確に簡潔にやるべきことだけ考えて実行するこの男の方がやりやすいと思う。
それでもアポイントを入れられると緊張する。何しろ『人類の剣』といえば金儲けに関しては素人よりも甘い(月に一〇万円も何もせずとも手当てが出るならかなり金銭感覚にゆるくなる。実際、彼女が指導している習字教室はよくてトントン、お茶菓子代金がかさんで赤字の月が多かった)自分が、基本的に自社の利益しか考えない相手と話し合わなければならないのだから。だから打診に対して一〇時と時間を指定したものの迎える気分は暗かった。それが少しでも和んだのは、同行してきた女性の存在があったからだ。
身長は低く、娘たちとほぼ同年齢と思われる女性はかしこまって名刺を差し出した。その緊張する表情から探索者かと思ったが名刺には商社の名前が印刷されていた。『主任研究員 三峰えりか』と記載されている。この街を散歩しているとよく見かける姿だった。好奇心に満ちた視線であたりを見回しながら躍動的な歩調で歩くおちびさん。一五〇センチもない身長がかもす幼さとあいまって、見かけるたびに娘たちにもあんな可愛げがあればいいのにと思わずにいられない。大げさに表現するならファンだったと言っていいだろう。応接室に二人を通し事務の女性がお茶を置いてからしげしげと三峰を見つめた。彼女は居心地悪くあいまいに笑ってから、ボスにあたる男と視線を交わした。そして話を切り出した。
彼女が机に置いたのはどこにでもある石のようだった。さては例の石の変種かと思い手にとったものの何の変化もない。ひねりまわして眺めてみたがそこらに転がっている石のように思える。これは? という疑問をこめて三峰の顔を眺めたところ化石ですと簡潔な答えがあった。
「怪物がしばしば宝物として化石や炭を携帯していることは以前から知られていました。化石や炭は匂いをとどめておくのに適した構造をしていますから、自分の属するコミュニティを示すための名刺代わりだと私たちは漠然と推測しています」
そうか、と納得する。実は彼女は第一層しかもぐったことはない。そしてそこには電気設備が完備されているから迷宮内部には灯りがあるものだと思っていた。しかし基本的に地下は漆黒の世界だ。視覚で判断できない分だけ他の感覚器官に頼るところが多いのだろう。匂いをとどめやすい石をエーテルでコーティングして名刺にするというのはありそうだ。でもそれが何か?
「調査しましたが、この化石、まだ日本では発見されていない種類のものでした」
数秒かけてゆっくりと考えた。小柄な科学者はさらに続ける。サンプルは少数しかありませんでしたが、発見される化石のうち六割以上が日本で未発見のものでした、と。
「――たまたま見つかっていなかっただけという可能性は?」
小柄な女はうなずいた。もちろんその可能性が一番高いと思います。日本国内でも化石の発掘調査はまだ発展途上の段階ですし、私が調べたサンプルはあまりに少数ですからデータとしての信憑性はまったくありません。そう言ってお茶をすする。しかし。
「現在発見されているものだけでもありとあらゆる地域に分布しています。中国の西部でしか発掘されていないものもあれば、北アメリカ中部でしか見られていないものもあります。まるで、大迷宮に世界中の化石が集まってきたかのような印象を受けるほどに」
疑問には思っていたんです、と三峰は言った。けれども科学者である彼女は予想外の出来事には慣れている。自分でまったく理解できないデータと出会っても、これにはちゃんと理由があって自分が無知だから理解できないだけなのだということがわかっている。だからわからないことはわからないままにデータを集めていた。当時の仮説は二つだった。
「一つはもちろん、京都の地下でもこの種の化石が産出されるのだが私たちがそれを知らないのだということ。一つは迷宮は海の底を通って日本から世界各地へ、少なくとも中国西部と北アメリカ中部とはつながっているということ」
しかしそこで一つの話を聞いた。魔法使いの訓練場でイメージトレーニングにいそしんでいた非番の午後だった。最高難度の魔法では、なんと瞬間移動を実現するという。
「それを聞いたとき、実用品ではなくて装飾品の一種なのかなと思ったんです。匂いをとどめる機能ではなくて化石の種類そのものに価値を見出しているのなら、珍しい海外の化石を輸出入する仕組みがあってもおかしくありません。海外の地下の穴とも瞬間移動でつながっているのであればそういう貿易業者がいるとも思えます。そういう化け物はいそうですか?」
その言葉に、『人類の剣』たちの部隊の報告を思い返した。確かにかなり高難度の術を使いこなす化け物の存在は確認されている。瞬間移動もできるものがいると考える方が正しいだろう。しかし、それはやはり危険な行為だった。習字教室と自宅の土間との移動に使っている自分はこの世でも数人といない才能の持ち主だからやっているのであって、並みの術者なら二の足を踏むだろう。そう考えて、難しいができる化け物はいるだろうと答えた。その言葉にずっと黙っていた後藤が口をはさんだ。難しいとはその瞬間移動を使った貿易システムで海外の化石を安価に供給することがですか? うなずいて応える。では、と商社の二人が顔を見合わせた。やはり第二層の化け物でも頻繁に持っているのは不自然だな。
後藤が表情を改めて理事を見つめた。
「私の仮説は四つです。最初の三つは三峰と同じもの、四つめは、化け物がコミュニティ単位で中国西部やあるいは北アメリカ中部、その他の土地から移住されていたのではないかというもの」
それは――絶句する。何者かがわざわざ京都に化け物を数万匹という規模で連れてきたと? 一体何のために?
「それは、ちょっと、にわかには納得できませんね」
後藤は手を振った。この場で正解はわからないと思います。今後とも三峰には調査を続けさせますし、何かわかったらお知らせいたします。ただ、一つだけ確認させていただきたい。もしも四つ目の仮説が正しく、それを行った何者かと交渉が可能であれば事業団としては何を望まれますか?
意外な言葉にビジネスマンの顔をまじまじと見る。そして理解した。立ち退きさせることができれば探索事業も終わりにできる。その選択肢を提示されたら事業団はどうするのか?
「正直に申し上げれば、わが社としてはこのまま継続させたいと思っています。探索事業から上がる利益はわが社にとって重要ですから」
視線を送られた三峰が後を続ける。
「研究者としても、貴重な研究題材を手放すのは惜しいと感じています」
なるほど、と合点した。この二人は何か一つの意思がこの大迷宮を作ったとなかば以上確信している。確かに京都市中にこんな化け物たちが住んでいてこれまで千年以上噂すら立っていないというのは明らかに不自然だった。なにか一つの意思が目的を持ってここに大迷宮を築いたのだとしたら、それを持続させるか撤収させるかはその意思次第ということになる。商売人であり科学者である二人は持続させることを望み、その歩調を事業団とあわせる必要を感じたのだ。
そして考える。探索事業が続くことは良いことだろうか? ――世界にとってなんかわからない。自分にとってはどうだろう? 明らかに益だった。ずっと無用の長物だと言われていた『人類の剣』に対する待遇はかなりよくなった。理事として活動することで、各地に隠れていた同業者たちとの交流も増えた。夫婦そろっての理事の報酬で家計も楽になった(今年夏には夫婦で海外旅行にもいけそうだ!)。心身ともに強靭なため普通の男には満足できないだろうと思っていた娘たちにも恋人ができた。一人は後継者を育てなければならないという義務も高田まり子という稀有の才能を持つ女性を弟子にすることでクリアできた(旦那は目をつけていた戦士を先日失ったが、いずれ別の才能は現れるだろう)。そうだ。悪いことは何もない。あとは適当な時期を見計らって娘たちを引退させ、徳永という事務員にもっと権限を与えて自分たちは名誉職くらいに収まれば・・・。
そしてそれもこれも全て大迷宮あってのことだ。何も迷うことなんかない。正直に、迷宮があってくれた方が私個人は嬉しいわねと答えた。後藤は野心的な笑みを見せ、ではなるべく迷宮は維持する方向でいきましょうと手を打ち合わせた。
部屋を辞そうと立ち上がる二人、技術者に何気なく訊いてみた。もしも海外からコミュニティをつれてきたとして、それが京都地下に定着するまでどれくらいの時間がかかると思う?
「そうですね、生殖能力が高そうですから世代間のサイクルは短いと思います。七年を一世代として二世代一四年。おそらく二〇年くらいあれば定着するのではないでしょうか?」
来客は去り、ふたたびソファに沈む。二〇年か、と小さく呟いた。