20:06

シャンプーを泡立てながらの鼻歌を、隣りでおきた妙な声がかき消した。うおっ! というそれは驚きと恐怖。決して銭湯で聞こえていいものじゃない。どうした? とちらりと視線を送ったらその男は浴場の入り口を向いたままぽかんと口を開けている。
名栗透(なぐり とおる)も視線を送った。そして同じようにあごが下がった。
現在ここ迷宮街には明日からの短期工事に駆り出された作業員たちが集まっている。入浴には銭湯を使うようにと指示されたものの50人近い労働者風の体格の人間で浴場は狭苦しく感じられた。ブルーカラーならではの筋肉の海。探索者たちは日々危険と立ち向かっているらしいがそれならば工事現場で日々暮らす自分たちも同じこと。少なくともこの三日間この街は自分たちの前に息を潜めると思っていた。
それがたった二人の人間に覆された。
一人は長身痩躯。かすかに脱色した髪が肩口まで流れている。しかし弱々しさはまったくみられないのはそのグロテスクなまでに浮き上がった筋肉の段差があるからだ。そこには数え切れないほどの切り傷の後が見られる。そしてもう一人。おそらく二メートルくらいありそうなその背丈は決してのっぽの印象を見せず、なぜならその上腕でも過酷な労働で鍛え上げられた自分の太もものように太い。浴場の混雑に困惑したようなその顔は、しかし自分たちの雰囲気や体格にはまったく影響されていなかった。
驚いたのは彼らも同じらしかった。長髪の男がうわあと呟く。答えたのは巨人だった。
「あ、あれじゃないかな。明日から工事してくれる人たち」
間延びした声に、おお、と長髪の男が納得の顔をする。
「せっかくだからゆっくりはいってもらおうか」
「そうだね。じゃあ狭いけどナミーの風呂借りていいか?」
「うん」
そんな会話のあとで二人は浴場から出て行った。その会話が聞こえたのは当然そこを埋め尽くした労働者たちがぴたりと沈黙していたからだ。名栗は夕方のことを思い出した。普段着ているトビの作業着ではなくわざわざ支給されたツナギはずっしりと重く動きづらかった(女性探索者たちが着る重量らしいが、それは嘘だろう)。しかし安全のためにそれを着用しろという。なにを馬鹿なと思ったものだ。あの作業着は十分安全で作業もしやすい最高のものだ。そして何より各人がデザインに趣向を凝らしている自分たちのユニフォームなのだ。それを脱いでこんな地味なツナギなど誰が着るものか。そう思っていた。
あれを着たほうがきっといいぞ。二人の身体を埋めた切り傷が諭している。
名栗が出るまで浴場はしんとしたままだった。日給15万円の意味をようやく知ったのだ。