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トイレから戻って騒乱の一角を俯瞰すると、最大級の騒音を発してもおかしくない人間が端のほうでぽつんと座っていた。真壁は手近なテーブルからパエリヤを取り上げ、その前にどかんと置く。ご注文の品です。真城雪(ましろ ゆき)はその言葉に微笑む。真壁は向かいに腰掛けた。
「いろいろありがとうございました、姉御」
うん、とうなずく視線はあたたかく、心底から喜んでくれていることが伝わってくる。しかしその奥には悲しみを感じさせた。ええと、あの、とおずおずと問いかける。
「も、もしかしてまさに今日男と別れてきたとか?」
バカね、と年上の美女は笑った。大丈夫。円満だよ。そしてしげしげと真壁の顔を眺めた。
「ああーもうこの顔見られないと思うと・・・まあ別にいいか。美男子でもなんでもなし」
調子が出てきたぞ。真壁は苦笑する。
「俺って本当に祝福されている?」
「お前は本当にいい奴だった」
「なぜ過去形?」
茶化す言葉にも微笑は動かない。
「お前は本当に――」 女帝は身を乗り出し、真壁の首に手を回した。ひんやりとした髪の毛とほてった肌が頬に心地よさを与えた。
「ちょっ、真城さん?」
真壁が見ても上質とわかる黒いカーディガンはパエリヤの中に突入してしまっていた。身を離そうとする動きを予想外に強い力が押しとどめる。
「――いい奴だった。バカで、お調子者で、頭が悪くて、要領が悪くて、不器用で、バカで、いい奴で、バカだった」
「・・・せめて最後をいい単語で締めませんか?」
「うん? 何か言ったか?」
「いいです別に。――真城さんていい匂いしますね」
「う、うるさいな!」
慌てたように突き放され、顔を見合わせて、そして同時に吹き出した。