強運の戦士という呼称に誰よりも違和感を感じているのは本人である佐藤良輔(さとう りょうすけ)だった。違和感である。反感ではない。この街にいて運も実力のうちという言葉が事実であることを痛感していない人間はいないし、おそらくほとんどの人間は運とは才能の一種だと、本人に帰属し無意識に発揮する才能の一種だとうすうすわかっていた。だから強運の戦士と呼ばれること自体はありがたいと思っている。違和感を感じるのは、ほかならぬ自分の身にその呼び名が与えられることだ。
これまで幸運とは無縁の人生を送ってきた。不幸といってもいいと思う。もちろんこの時代の日本に生まれたことが、世界のほかの土地に生まれることに比べてどれだけの幸運かはわかっているつもりだ。しかし自分たちの幸運はこの国に生まれ国民になった時点で尽きたのではないかと思っていた。母が兄妹を産んだために体を壊し亡くなり、男手一つで兄妹を育て上げようと奮戦した父親もまた息絶えたとき二人はまだ10歳だった。それだけでも自分を不幸と思っていいものではなかっただろうか? 親戚じゅうの親切で高校まで出してもらえた二人はアパートを借りて働き始めた。二人で身を粉にして働いて、暮らしには困らなくなった。しかしそれだけだ。穏やかで安らかな生活に参加するための何かは見つからず、いつしか兄はどちらか一方でも幸せにと思いつめるようになっていた。そんなさなか、妹に恋人ができた。
兄の目から見てもその恋人はいい男だった。名前だけは知っていたある巨大な会社に勤める男だという。時は来た、と紹介された晩に郊外の安アパートの自分の部屋で泣いたのをまだ覚えている。父親が亡くなってから初めての涙は生まれて始めての嬉し泣きだった。あとは、あとは自分と妹の人生を切り離すことだ。とはいえ妹の人生に暗い影をもたらしてはならず、妹は自分だけ幸せになることを決して受け入れないだろう。何か、早急に自分も身を立てられる手段はないだろうか。そう探したところで迷宮探索に出会った。幸いにして妹の恋人は、関係の深い商社に勤めていた。彼に頼んで事業団の職を得たと口裏を合わせてもらった。もちろん彼は自分が探索者になることに最後まで反対したが、それでもしぶしぶ承諾してくれた。そうでなければいけない。恋人とその兄とを秤にかけて兄を取るような男に妹を任せられるものか。そして佐藤は試験に合格した。
それから自分の身に起きたことは誰が見ても幸せとしか思えないことだった。自分も信じられない思いで日々を眺めている。それでも、たった3ヶ月のその幸せだけでは自分の不運に対する絶対的な信頼は覆らないのだった。あるいはだからこそ、幸運の女神は自分にまとわりついているのかもしれない。
今、佐藤は幸せだった。妹はすっかりだまされている。まだ若い恋人が会社で力を持っているはずもなく、その一存で兄に職を与えられるわけもないのだが、巨大な会社の名前と慣れない(そしてこれまでずっとこいねがっていた)幸せ納得したようだ。時々妹は京都にやってきては、「迷宮探索事業団の事務員」である兄の家に泊まっていく。いつまで経ってもスーツが似合わないねと笑いながら、それでも2DKのアパートに貧しげな様子がないことに満足しつつ、恋人との暮らしを嬉しそうに語ってくれる。恋人はできないの? と心配してくれる。佐藤は幸せだった。
そして、あれだ、と視線をトーナメント表に移した。そこにはベスト4の賞品として『ホテルミラコスタ優先宿泊券』 とあった。非の打ち所のない、まさに彼が幸運を運んできたかと思える妹の恋人の唯一の欠点は、その仕事が忙しくて先々の予定がなかなか立てられないこと。妹が話してくれたことがあった。ミラコスタにいちど泊まってみたいのだけど、彼の都合がつかないから予約取れないんだと。視線が『優先』の文字に吸い付く。どのくらいの『優先』かは知らない。だが、もし三日前でいきなり宿泊できるほどの『優先』であれば妹はどれだけ喜ぶことだろう!
津差にはああ言ったが、本心では運でもなんでもいい。絶対勝つ。