自分の耳には全て同じ音に聞こえ、自分の目には全て同じ動きに見える。それでもその男が一度一度うなずいたり舌打ちをしたりしていることから、そこには戦士たちにしかわからない何が違いがあるのだろう。訓練場側壁に設けられ、内部と外部をつなぐ通用口のコンクリートの一つに腰掛け、的場由紀(まとば ゆき)はぼんやりとそんなことを考えた。目の前では先ほどから佐藤良輔(さとう りょうすけ)という戦士が鉄の剣を使って素振りしている。もちろんそれは刃を潰してあるものだがそれでも10kgを越える鉄の塊が空気を切り裂く音があたりを圧していた。相手の右肩へ振り下ろすその剣筋は、先ほどの試合で彼が勝ちを拾ったものだ。どうしてそればかり練習するのか? という問いかけには「せっかく覚えた形を忘れないように」という答えが返ってきた。
「佐藤さんはまじめですよね」
今は別々の部隊に属していたが佐藤とは迷宮に来た当初は部隊を組む仲間だった。第二期探索者の中でも屈指の戦士である津差龍一郎(つさ りゅういちろう)に率いられたその部隊、下へ下へと向かうベクトルを負担に感じて袂を分かった。今は同じような探索者を集めてまったりとした部隊を率いている。袂を分かったとはいえそれは相談と合意の上のこと、今でも津差部隊のもと仲間たちとは仲良くしているし、ことに目の前の年下の戦士とはアパートが近いこともありたまに余ったおかずなども分けてやっていた。
でも、今からそんなに練習して次の試合に響かないんですか? 素振り音の間の返答は短く、勝ちますよ、とだけ。それはさすがに説明不足と思ったか、鉄剣の先を地面に突き立てて振り返った。
「国村さんは確かに格上ですけど、優勝するつもりでここに来ています。俺に勝つのは当然、視線はいまその先にいる真城さん神足さんのいずれか、そしてその先の黒田さんか翠さんを見ています」 自分は相手の眼中にいない、その事実を淡々と語るそこには意地もプライドもないように見える。一方で俺は優勝を見ていませんから。俺はただ、次を勝てればいい。
次? ベスト4ですか? どうして?
賞品がホテルミラコスタの優先宿泊券なんです。笑顔に的場の顔がほんの少しこわばった。そのことは彼女も知っている。東京ディズニーシー内部に建てられたホテル・ミラコスタの優先“ペア”宿泊券。そんなにチケット欲しいんですか、と内心を悟られぬように水を向ける。再び素振りを開始していたその音の間、欲しいですときっぱりと簡潔に返事がもたらされた。
どなたと行かれるんですか?
「棚田さんです」 躊躇のない返答に必死に記憶をたどったが思い浮かぶ顔は現れなかった。棚田? 探索者?
「いえいえ」 と振り返った顔は苦笑している。妹の婚約者です。ミラコスタには泊まりたいのに仕事が忙しいから予約が取れないのだそうで。“優先”宿泊券があれば行かせてやれるかなと思いましてね。
「あ、そうだったんですか」 声にはほっとした響きは現れていないと思いたい。まあ少なくとも目の前の男が何か感じ取っているとは思えなかった。それはそれで少し腹が立つのだが。じゃあ、ベスト8のUSJチケットは誰と行くんですか?
「いやあ、別に相手もいないし金券ショップで売りますよ。――あ、なあんだ的場さん」 鉄の剣を肩に担いで振り返った顔はにんまりと得意げ、それに的場は動揺した。チケット欲しかったら仰ってくれればいいのに。行きます? どなたか誘われて。なら差し上げますよ? 的場は曖昧に笑った。それをどう受け取ったか、また空気を裂く音が再開された。的場は一つ息を吐いて、視線を訓練場の壁沿いに走らせる。壁沿いに4つある通用門、一番入り口よりである視線の先には二人の男女が並んで座っていた。
「佐藤さんはまじめですよね」 ため息とともに言う。そして朴念仁だ、と心の中で付け加えた。視線の先にいる男女は同じく第二期募集の初期に合格した戦士たち。ベスト8に残った女性のほうが、恋人であり部隊の仲間である男の肩に額を乗せていた。仲むつまじいその姿が無性にうらやましく感じられる。