ゆったりと曲が流れている。
音の悪いテープレコーダーから最大音量で流れるその曲を取り囲むように人垣ができていた。ほとんどは女性で、年齢は大学生くらいから中年までさまざま。彼女たちは大きな輪になって一様に中心を見つめていた。視線の先を曲にあわせて動き回るのは一対の男女。右手と左手を結び、男の左腕は女の腰に回されている。向かい合う身体の間には何もない空間と緊張感が生まれていた。どこにでもあるダンスの風景、しかし異様な印象を与えるのは二人のいでたちだったろう。男はセーターにジーンズ、黒いロングコート。そして女はシマウマ模様のツナギだった。
輪をつくる女性たちはその瞳に羨望と嫉妬と――驚嘆をこめて二人の踊りを見つめていた。彼女たちは趣味でダンスを習っているからわかるのだった。目の前の男はともかく、経験がないと言っていた女の優雅さが。その女性は最初にいくとおりかのステップを教えられただけで、自分たちではかなわない世界に達していた。
男がつないだ腕をふり、女の身体を放り出す。女は綺麗なステップを踏み男の腕から逃れしかし手は離さず、二人の腕が伸びきるとまた女は反動で男の胸元に戻った。おお、と見物人からどよめきが起こった。
音楽がやんだ。女は男の顔を見上げて微笑んだ。彼女は名を真城雪(ましろ ゆき)という。端正な顔立ちながらも鉄製の剣を担いで最前線に立つ戦士としてこの迷宮街で有名をとどろかせていた別名“女帝”。現在は剣術トーナメントのベスト8にも危なげなく残っていた。対する男性はそのベスト8を決める試合で彼女に敗北を喫したこれまた戦士で、秋谷佳宗(あきたに よしむね)という。周囲をとりまく女性たちに日ごろ社交ダンスを教えるダンサーでもあった。
「うん、勉強になるねえ、踊りは」
「真城さんはセンスがいいですね」
あと15分でベスト8の試合が始まるこの時期になって、別に真城は遊んでいるわけではなかった。いまさら素振りをするのも泥縄に思えるとて、戦った誼ということでダンスの指南を頼んだのだった。戦いは自分が勝ったとはいえ、目の前の男の体さばきには学ぶところが多いと実感したからだ。簡単なステップを教えてもらい姿勢を正して踊ってみると、なるほど人間の身体の操縦というのは努力すればするだけ余地があるのだとわかる。今度は、と秋谷が言った。今度は少し難しくしてみますか? 音楽抜きで、俺が好き勝手にテンポを変えてリズムをとって踊ります。ついてきてください。
真城はきりりと表情を引き締めうなずいた。彼女の次の対戦相手はそのすぐれた身体能力のみならず予想をはるかに外れた奇妙な剣法で有名な古参戦士だった。剣力技量が同じ程度である以上、考えて対応していては負けてしまう。相手の意図を肌で感じ取り即応する能力、地下でなら極限まで研ぎ澄まされるその感覚を地上においても本調子に近づけるための工夫だった。ありがとうね、と小さく呟くと秋谷は返事代わりにステップを開始した。
最初はつっかえつっかえ、しかし三分もすると二人の動きは躍動的にしかしぴったりと調和がとれていた。二人を囲む視線にはもう嫉妬は見られない。