渾身の自制心で文庫本に落としていた視線、しかしその戒めを破らせたのは何か途方もない寒気だった。
なにが、起きた?
わからない。だが、ゆっくりと流れる世界の中で硬直したかのように横に倒れていく翠の身体だけは認めることができた。あの倒れ方は、なにかまずい。その思考が終わるより早く真壁啓一(まかべ けいいち)は立ち上がり、試合場の白線を踏み越えていた。審判の橋本辰(はしもと たつ)が自分に何か怒鳴りつけている。知るか。
黒田聡(くろだ さとし)は虚脱したように突きを伸びきらせた姿勢、追い討ちをかける気遣いはないらしい。しかし黒田に背を向けると不自然に倒れた娘を抱き起こす。その両目は焦点があっていない。
軽く揺さぶるとようやく気づいたようだった。そして状況を察したようだった。
「なんで出てくるの! まだやれるのに!」
真壁は混乱した。そうなのか? 自分よりも一段高いところにいるこの女剣士がそういうからには自分は邪魔をしたのか? それでも――強い思いを視線にこめた。あきらめろ。
「俺をセコンドに許した時点で負けだったってことさ」
その言葉が終わるより前に支える手への重みが増した。
気を失ったのか眠っているだけか、とにかく真壁はタンカと叫んだ。