「おつかれさまですー、ってドア開けっ放しでいいんですか?」
それどころか窓まで全開じゃないか。
訓練場の一角、魔法使いの教官である鹿島智子(かしま ともこ)の部屋は室外と同じ冷気に満たされているようだった。京都の冬は厳しい。
「ああいいのいいの、そのままで」
この部屋の主である鹿島が高田を見やる。その顔はかっかと火照っているようだった。その脇でとろんとした目をしているのは理事の笠置町茜(かさぎまち あかね)。鹿島はまだブラウスを身につけていたが、こちらはTシャツ1枚きりだった。
「――え? だんぼうは? って二人とも、もしかして暑いんですか?」
おそるおそるの言葉には同時にうなずきが返された。まりちゃんもここに座ればわかるわよ、とげんなりした顔で理事が椅子を指差した。おとなしくそこに腰掛けたら途端に温度が上がった気がした。
気温ではない。自分の体温が、だ。そして原因も瞬時に察しがついた。目の前に積み上げられているくすんだガラスのような石の山、そこから伝わってくる何かが自分の身体の芯をほてらせている。いや、ほてらせているなんてものではない。これは病気のときの発熱に近い感覚だった。
明後日にはゴンドラ設置作業が行われ、そのための鉄柱やゴンドラそれ自体、ゴンドラを守る防護柵やタラップなどが怪物に壊されないよう迷宮内部の空気に侵されないように迷宮特産の石を使って保護することが決定していた。この石は今はないある探索者が見つけ出したもので、迷宮内部のエネルギー、現在では便宜的にエーテルと呼ばれているそれを自動で集め、接触している物質にまとわりつかせる機能をもっていた。これを使用した鉄剣は通常のものよりもはるかに剛性が高く強度に優れていることからゴンドラの器具に使えるだろうと推測されたのだった。
しかし圧倒的に総量が足りなかったため先日まで訓練場教官と理事による部隊を編成し連日のように地下で探索していた。それが現在目の前の新聞紙の上に広げられた石の山だった。
石といっても純度か大きさか、エーテルを呼び集める機能には優劣があるようだった。それを判断するには一つ一つ地下にもっていかなければならない。しかしそれは危険ということで地上でもその効果の強弱を感じ取れる素質を持った人間に声がかかったのだった。今朝9時から作業をしていた理事と教官だったがそれでも終わらないということで、探索者中では唯一その才能を備えている高田が急遽雇われたのだった。
才能があるとは、石の機能に対して体が敏感に反応してしまうということだ。大量に積まれたものは必要以上にこの三人の身体の中を活性化させていた。
この二つを触ってみて、と鹿島が二つの石を手に握らせた。その差はほんのわずかなものだったが、手を通じて腹に与えてくる衝撃のようなものに確かに違いが感じられた。それが境界だから、段ボール二つ用意してそれより強いのと弱いのに分けてね。
うん、とうなずいて山に手を伸ばした高田に鹿島が問い掛ける。いま剣道大会やってるんでしょ? 誰が勝ち残ってる?
ええっとね、私が見たのはベスト8が決まるところまでで、と石をまた一つ拾い段ボールに投げ込む。津差さん、お父さん、クロ、葛西さん、雪、国村さん、翠ちゃん、ええと、佐藤さん。これが勝ち残ったメンバーだよ。その言葉にあら、と鹿島が驚いた。寺島さん消えたんだ? うん、驚いたけどね。それから視線を理事に移した。お嬢さんがんばってますよ。次はクロとです。
「あたしの子にしちゃよくやってるわね」
大して興味もなさそうに石の山に両手をかざし、次の瞬間にはひょいひょいひょいと5〜6個の石を摘み上げては段ボールに入れている。一つつまんでは集中している二人とはまったく仕事の速さが違っていた。そういうところでも、二人は持って生まれた才能の差を感じてしまう。またまたー、と鹿島は笑顔を向けた。翠ちゃんのこと信じてるでしょう?
信じてるわよ、私に似てるってことを。あの子はずっと父親に叱られ叱られしてきたし、私に似て融通の利かない堅物だからああいう華やかな舞台は苦手だと思うわよ。ま、ここまでだわね。
「ちょっと待ってください。茜さんに似て堅物っておっしゃいました?」
高田がその袖を引く。ちょっと智子! ムリしないで!
(いや、いくらなんでも今の暴言は許せないじゃないのよ。この人自分を堅物って言ったのよ!)
「あの子まじめだわよ?」 意図をつかめていない理事の顔。だって、夏休みの宿題なんていつも七月中に終えちゃってたんだから。
いやだからですね、茜さんに似てっていうからには、茜さんも夏休みの宿題を七月に終えたってことですか?
いやそれは――と言葉につまる。いくら親子っていってもそこまで似るなんてなかなかないわよ。第一さ、休みに宿題があること自体がおかしくないの? おかしいでしょう? 私と翠はね、そんな些細なことじゃなくて他のたくさんのことで似てるのよ。ええと、・・・苗字とか。
苗字ですか。呆れて物が言えない。
「ああ、ええと、うん。ちょっと暑いわね。こう暑いと、なんだか風邪引いて学校を休んだときのこと思い出すわね。風邪引いたらよく桃の缶詰食べたわよね。待っててちょっと買って――」
言葉が途切れ部屋には二人だけになった。