苦戦はしないだろう。国村光(くにむら ひかる)は当初そう思っていた。
猫を相手に心を落ち着かせていた先ほど、第二期最強の戦士たちが三人のこのこと雁首そろえてやってきた。彼らに次の対戦相手である佐藤良輔(さとう りょうすけ)について訊いても対面するこの男が強いだろうとはまったく思えなかった。いわく、剣術では笠置町翠(かさぎまち みどり)に劣り、速度では真壁啓一(まかべ けいいち)に劣り、筋力では津差龍一郎(つさ りゅういちろう)に劣ると。もちろんこの街の戦士の大半がそう言われているし、自分だって実際のところはそうだ。しかし、本人がそう自覚しても周囲はなかなかその分水嶺を判断できないものでありましてや断言など滅多な差ではできない。たとえば笠置町に対して「俺と君とどっちが剣術では上?」と問い掛ければ即答で「私です」と返ってくるだろう。それ彼我に圧倒的な差があるからだ(そしてこの娘にかわいげがないからだ)。しかし残りの二人にそれぞれ問い掛けたらどうか。なかなか「自分だ」とは言えないに違いない。自分ならばなおさら、そうでなくても第一期から生き延びて名を認められている戦士たちにはそれだけの実力があるのだ。
しかし佐藤に対しては各人ともに「自分が上」と言ってのけた。これはつまり、目の前の男が少なくともフィジカル面では自分よりもはるかに下とみなされていることを意味している。だから軽い気分で(というよりも、そのあとに続く食わせ物との試合に対する重い気分で)会場に向かった。そして対戦相手を見て期待が裏切られたことを感じた。
そこにいるのはやはり歴戦の戦士であり、そして何より自己管理が上手な戦士だった。あったまってるなー、というのが印象だ。その身体がである。この寒い冬空で最初は野良猫と二人、その後は来客三人を交えて話をしていた自分はまだまだ身体が冷えている。次の試合へのアップも兼ねてこの試合で調子を上げていこうと思っていたが、どうやら敵さんははじめからトップギアで来るらしい。
やっかいな奴だな。心の中で軽くぼやくと眼をつぶり、軽く身体をゆさぶった。中国武術を一日だけ学んだときに盗んだ筋肉を弛緩させて血流を促進する身体の動きだった。まず四肢の先端に血が届き、だんだんと肩や腰、太ももといった分厚い筋肉の表面にも熱を感じる。準備の程度では五分とはとても言えないけれどもともとの身体能力が違う。最初の2分しのげばあとは問題なく勝てるだろう。
それにしても、とちゃっかりと佐藤のセコンドについている三人組を眺めた。彼らは俺を油断させるために佐藤に対して低い評価を下したのだろうか? それならそれでいい。しかし、もしもその言葉に本心が混じっているのなら、あとで注意しなければならない。目の前の男は理由は知らないがこの試合だけに全てをかけている。そして完全にピークをここにもってきている。目的を明確にし、欲を出さずそれだけを遂行する。そういう現実的な思考法は、才能に恵まれたあの三人では自然には身につけられないものと思えた。
強運の戦士というあだ名も由のないことではないだろう。自分だったらあの三人よりも高い評価を目の前の男に下す。
もちろんそれと勝敗とは何の関係もない。勝負は俺が勝つだろう。それが、十分に温まった状態での身のこなしをじっくりと見ての国村の結論だった。