息を整えながら身体の様子を再確認しようとした。それを阻害するのは間断なく伝えられる右腿からの痛覚だった。貫かれたわけでもない切り裂かれたわけでもない単なる打撲が思考力を奪うほどの警鐘を鳴らし、ともすれば闘志すら削ろうとしていた。震える奥歯をかみ締めつつ、必死になって頭を回転させた。
痛みのもとである右太ももの筋肉を緊張させてみる。反射速度はまったく衰えず、発揮できる筋力も影響なく、しかし痛みだけは盛大に鳴り響いていた。これは――たぶん、骨にひびがはいったか、けっこうな内出血が起きているはずだ。だから身体は治療させようと痛みをかき鳴らす。早いところ痛みを切り離す必要があった。
それにしても、あのおっさんはどうして畳み掛けてこない?
いくぶんはっきりした頭で考える。今がチャンスだということはわかっているはずだ。俺がいるこの場所か? と後ろをちらりと振り返り納得した。
背後に並ぶ『ネット』は第一期ではなかった。笠置町翠(かさぎまち みどり)、真壁啓一(まかべ けいいち)、津差龍一郎(つさ りゅういちろう)という第二期屈指のしかし第一期に比べると(理事の娘は別として)明らかに見劣りする三人が後ろに並んでいた。真ん中の娘の「バッチコーイ!」という声が癇に障る。
そして、三人の後ろには声援の声も消え入ってしまった一団が座っていた。すべて女性で、20代前半から40代後半くらいまでの明らかに探索者ではない彼女たちが集団だとわかったのは、恐怖に思わずお互いすがりあっているからだ。なんだろう? 誰かのファンクラブでもまとめてやってきたのだろうか? ともあれ見劣りする『ネット』と身を守る力がまったくない女性たちの存在は神足燎三(こうたり りょうぞう)から木刀を投げる意思を奪ったらしい。ここでなんとか時間を稼いで回復できるか?
いや。神足の目を見てそんな楽観を打ち消した。今その瞳にゆらいでいる逡巡は、『ネット』がどれだけ頼りになるかを図っていることが想像できた。そして津差という巨体がいる以上、津差が身を張って守ると信じることさえできれば背後の女性たちに危害は加えられないのだ。ここもすぐに安住の地ではなくなるだろう。
試合場をぐるりと見回した。
『さあどうする国村! 卑怯者に負けるな!』
女帝のアナウンスにあわせてさあどうする国村と心の中でつぶやいた。そして自分がなすべきことがわかった。
膝を落とし、姿勢を落としたまま右に走る。右腿と右胸が手足を動かすたびに激痛をかき鳴らした。試合場の白線ぎりぎりのダッシュに当然『ネット』たちはついてくることができず、『ネット』がいないかぎり神足は投げられないのだった。一本木刀を左手に構えたまま、線沿いに走る国村を常に中心におくように神足は向きを変えつつ視線を据えていた。その狙いはよくわかった。線沿いに走る限り、『ネット』を振り切ることができる。その間は木刀の恐怖は感じずに済む。しかし一辺を走りきれば当然次の一辺を守る『ネット』たちが待ち構えていた。一辺を走り終えたその瞬間、待ち受ける『ネット』たちと重なるその一瞬が神足が木刀を投げつける必殺のタイミングだった。そんなことは国村にもわかっている。角を眼前にしゆるくカーブしながら、『ネット』たちと自分が重なる直前に思い切り跳躍した。
神足がぽかんと口をあけて見上げたくらいにそれは高く長い跳躍だった。同じく呆然としたのはこの辺のネットたちも同様である。
ようやく『ネット』を振り払うことができたのだった。
3歩の距離を瞬く間に詰めた。木刀を構えたまま顔を険しくさせている男に左から袈裟懸けを見舞った。あまりに予想外が大きかったのか、直線で突っ込んでくる国村に対しても神足はカウンターをかぶせることができずにしかし斬撃はやすやすと受け止められ、岩を叩いたような堅牢な手ごたえが国村の両腕を震わせる。
それはあくまで国村の予定通りだった。反撃がないまま、左に大きく跳ねる。そのまま線いっぱいまで下がった。神足が「あ」という顔をした。
国村はすらりと胸を張り背筋を伸ばした。
「と、このように」
神足の苦々しい顔を見据えた。
「人質を手に入れたわけですが」
『いやああああ! こっちにくんなー!』
国村のすぐ背後、白線に接して設置された放送席から真城雪(ましろ ゆき)の悲鳴が響き渡った。