お前ら、声がでかいぞ。神足燎三(こうたり りょうぞう)は背後から聞こえてきた会話に苦笑した。自分の位置では一言一句もらさず聞こえたその会話、自分の残弾数を正確に看破したその会話はもしかしたら向かいに立つ男にも届いたかもしれない。女帝との会話から敵手である国村光(くにむら ひかる)がこちらの弱みを掴んでいることはわかった。そしていま弾数を知られた可能性が――なんだ?
「だからさ、あと7発なんだって。神足さんの木刀。気合入れてなんとか防ごう」
葛西紀彦(かさい のりひこ)があけすけな声で対面に位置する月原浩(つきはら ひろし)に呼びかける声だった。これで可能性は事実に変わったわけだ。ようやく終わるか、と首をごきりとまわした。さあ、これでお役御免だ。自分は十分盛り上げに貢献しただろう。向かいに立ってこちらを窺う戦士に視線を置くと、彼もまた決着を予期する張り詰めた表情をしていた。潮時だから終わりにしようと思っている自分とは違い、彼は勝つため次に進むために勝負をつけようとしている。しんどい生き方だなとちらりと思った。
左手で一本の木刀を引き抜いた。右手は手首だけで木剣を回している。これは緊迫したときの癖だった。ポパイだかなんだかの力自慢が相手を殴る前に腕を回すのを見た幼い日の体験からのものだろうと思っている。もっとも地下の化け物たちはこういう動きにも十分意識を向けてくれるから、癖といっても侮れないものではあるのだった。何しろ自分が意図せず自然に出るものだから。
しかし国村がその回転に意識を取られたのは一瞬のみ、すぐに視線は自分の骨盤のあたりに戻された。投げられようとしている木刀にも意識を奪われずに自分の胴だけを見つめるその覚悟、自信はさすがに歴戦の戦士である。
国村が腰を落とした。そう思ったのは錯覚だったろうか? 次の瞬間にはその身体は放送席の前を離れ角に達しようとしていた。背筋を凍らせながらもまず一発目を投げる。その突進を先読みした木刀は、予期したかのような急停止によって外され、急停止したその場に投げられた第二弾は急発進によって外された。一発目を誰かの木剣が弾く音、二発目を誰かが身を呈して防いだうめき声が聞こえたがもう気にはしていない。
『ごー!』
アナウンスが残弾数を教えてくれた。やっぱりお嬢はわかってる、と嬉しく思う。そして次の『ネット』たちは頼りになるぞ、と続けざまに二本を放った。一本は踏み降ろす足元に、一本はそれをかわすため跳躍した胴のまんなかに。グローブで木刀を叩き落す動きに場内がどよめいた。『よーん! さーん!』
白線ギリギリであれば十分かわすことができるのだ、この体さばきの達人は。その速度と正確さの調和に斬りあいを見る目がないはずの素人たちまでが気を奪われている。これはきっと彼らの夕食の話題になるだろう。
さあ、来るぞ。いよいよ第二期の三バカが『ネット』となっている面まで移動した。あいつらはどこまでやってくれるだろうか? 一瞬で背後の三人の気合をさぐった。笠置町翠(かさぎまち みどり)には全く心配はない。的としては小柄だが、両側に二歩ずつプラス手に持った木刀の範囲内のものは絶対に叩き落すだろう。真壁啓一(まかべ けいいち)は本人の身体プラス両側一歩と木剣の半分の長さというところだろうか。津差龍一郎(つさ りゅういちろう)はその両手足の届く範囲だけにするべきだった、が、その身体自体が常識はずれに大きいので十分期待できる。とにかく、不安要素だった男二人が身を呈しても守る気概でいるのがありがたかった。左手を振りぬいた。
『にー!』
アナウンスと同時に低く走った木刀を、国村は走る踏み込みを広げるだけでかわした。股の間をすりぬける木刀に一瞬呆然とすると、その木刀がなんと理事の娘が袴の動きだけで絡めとったのが視界に入る。こいつら化け物か!
国村がまた急停止した。物音が止みつつある訓練場に酷使されたブーツの音だけが響き渡る。
そして、ターン。想像どおりだった。国村も三バカの気概を見たのだ。そして予想外に頼りになる『ネット』であり自分の土俵ではない場所だと理解した。いまや国村の土俵は一つしかなくそこに向かったのだった。ターンし始めにあわせて投げられた木刀はしかしダッシュのスピードを追いきれず、背後に立つ津差の木剣をもかいくぐってその下腹に吸い込まれた。『いーち!』 巨漢が膝を屈するのを見てあらためて自分が投げているものの威力にぞっとする。
そして国村が土俵にたどりついた。その背後には先ほどの試合のダメージを癒している黒田聡(くろだ さとし)が寝転がるだけだった。顔だけは試合場に向け、必死で自分に投げないようにと懇願の視線を送ってきていた。気にせずに左腕を振りぬいた。
信じているぞ、黒田。だからお前の脇にも一本置いておいたんだ。
国村の顔色が変わった。黒田を背後にとうとう白線を離れ、距離を詰めようとした二歩目のことだった。その足元を狙った木刀を大きく跳躍することでかわす。それはとても高い跳躍だったから、寝そべりながらも驚愕と恐怖に歪む黒田の顔までがはっきりとわかった。その腕が慌てて木剣を掲げたことも。それを確認して意識から切り離す。そして滑空する国村に集中させた。着地すればあと一歩で間合いにいたるようなそんな大きな跳躍は、自分の残弾数がわかったからこそできる動きなのだろう。そう。背中にはもう木刀は仕込まれていなかった。背中には。
――癖ってのはいいな。ああ、いつもの癖かと認識されたらそれ以降無視してもらえるからな。
極度の緊張により時間が長く感じられる不思議な世界で、胸のなかで呟いた。
――ちょっとくらい不自然な動きしても見過ごしてもらえるからな。
ほんのちょっと不自然な動き。手を回したふりをして、木刀の一本に結んでおいたピアノ線を引き寄せる程度の。いぶかしがって目を凝らさないと気づかないような動きはしかしこの緊張の場ではあからさまに察知されたことだろう。それをカバーしてくれたのが身に染み付き周囲に知れ渡っていた癖だった。野村悠樹(のむら ゆうき)に白線外に叩き落されたはずの木刀はいつの間にか自分の足元にまでにじり寄ってきていた。まだ国村は宙に浮いている。勢いをつけて右手を振り上げると足元の木刀が浮き上がった。同時に抱え込んだピアノ線の塊を手放した。
国村が着地し、そして自分の手の中の木刀に気づいたようだった。しかしその顔にはもう驚きはなくただ透徹する視線を注いでくる。
これで終わる、そう思いながらその顔の中心に狙いを定めた。至近距離だからまず当たるだろう。そして当たれば死ぬだろう。それを知りながら左腕を振りぬいた。