笠置町隆盛(かさぎまち たかもり)は真壁啓一(まかべ けいいち)を最後まで認めなかったな。神田絵美(かんだ えみ)がそのことを懐かしく思い出したのは、なぜだか目の前に寝転がる中年を眺めてだった。男は名を神足燎三(こうたり りょうぞう)といい、初日に登録して生き残っている唯一の探索者であり精鋭四部隊の一角、魔女姫の部隊で彼女を守る戦士である。最強トーナメントと名づけられた剣術大会で実力どおりに勝ち上がり準々決勝を迎える彼は、しかし視界の端でゆったりと準備運動をしている対戦相手とは対照的に両腕を頭の下に組み目をつむっていた。アナウンス嬢の役目から解放され、さてなじみの中年に激励の言葉でもかけてやろうかとやってきたらこの有様だった。このひと、次が出番だってわかっているのかしら? 肩透かしを食わされた気分になる。
理事と真壁のことを思い出したのはその気分が引き金だった。あれはもう一ヶ月も前にもなる年末のある夜、彼女は理事の娘に招かれて親子の会食に同席したことがあった。雲の上の人物との実りある夕食はしかし途中で思わぬ座興に中断されたのだが、その座興が終わったあとのことだ。汗一つかかずに戻ってきた理事はある巨人の膂力を認めた。また、ある(今はもういない)戦士の身体能力と反射神経を絶賛した。そしてある若者のがむしゃらさに感心してあるダンサーの下半身の強靭さには本当に驚いていたようだった。明らかに理事の前に敵し得なかった彼らに対する高評価の大盤振る舞い、しかし彼らのほとんどよりも善戦した真壁啓一については――反則負けとはいえ――敗北を喫したにもかかわらずに認めようとはしなかった。口にも出さなかった。
神田はそれを苦笑とともに眺めていた。理事は確か長野の山奥の人間だったと思う。田舎に住んで愛娘をもつ父親はこういうあからさまな敵意を娘に近づく男にむけるものなのだろうか? と。
真壁の場合は実力を認めるべき分別を圧殺したものがあったのかもしれない。しかし、同じように善戦しておいてなお認めてもらえなかった男がもう一人いた。それが目の前の男だったのだ。
ずっと前に酒場で行われた相撲の様子など当然神田は覚えていない。しかし印象に残っていたのはその試合を眺めながら三回も理事の娘が「すごい」とつぶやいたことだった。1分足らずの間に3回。それだけの熱戦だっただろうか? 記憶を探る。
いや。たしか――神足さんは最初から組もうとしないで土俵の端っこで構えていて、理事がなかなか突っ込まなかったんじゃないか。そう。そうだった。理事が手加減して様子を見ている、そして突っ込んだら一瞬で勝負がついた。そうとしかとれない構図だったからこそ練達の剣士である女性が何度もすごいとつぶやいたことが意外だったのだ。
あれのどこがすごいことだったのだろう? どうしても神田には理解できない。ただ寝転がって目を瞑っている男を眺めている。
立ち去ることもできず、かといって明らかに起きているとわかるのに声をかけることもできない。自分がそんな状態にありある意味行動を縛られていることなどは当然気がついていなかった。
寝転がる男の呼吸は低く浅く、長く深く、かすかに変化をつけておだやかにつづいている。