神田絵美

これが最後の日記になる。一一月一日から始まって、途中書いてない日があるとはいえ三ヶ月。自分の中でも日記をつけた最長記録だ。いろいろ勉強になった。書いておく、っていうのは頭を整理するためにいいな。この街を出ても、当然ウェブじゃないとしても日…

 14:05

「あら」 「おや」 「わーい」 「・・・・」 京都駅前伊勢丹デパートの六階で三人が驚きの声をあげた。真壁啓一(まかべ けいいち)はデパートを歩く人間には似つかわしくなく空身でにこにことその三人を見ている。ちょうどよかった! という笑顔になにがだ…

 06:42

秋谷佳宗(あきたに よしむね)の戦いぶりをさして「踊りのよう」と表現する連中は、当然彼のもう一つの顔を知っているからそういうのだろう。しかしそれを差し引いたとしても背筋が常に伸びて安定した下半身の動きは優雅な印象を見るものに与えた。しかしそ…

 12:13

水滴の音はほんのかすかなものだったけれど、それは広く大きく響いた。かき消すものがなければどんな小さなものでも存在を発揮するものだ。大迷宮第三層にあたるそこは完全な静寂に満たされていた。 無音はそのままに空気だけが揺らいだ。溶岩を思わせる床に…

今日から迷宮街内部限定で日記の一般公開だ。とりあえずは部隊の仲間たちにパスを教えて見てもらっている。みんなにやにやしたり奇声をあげながら読んでいた。まあ、読み返してみると密度濃く行動した相手は翠以外にはいないし、彼らには懐かしい日々を再確…

 16:13

階段を下りてゆくと好きな俳優の声が聞こえてきた。木賃宿の二階と三階は二段ベッドが並ぶモルグと呼ばれるフロアだった。どちらにもテレビが設置されており、常に何かしらの番組が映し出されている。いつも可笑しく思うのは、ここでもまたほとんどの時間は…

 10:08

昨日からお店はお休みで、早起きの必要はなくなった。それは嬉しい。でも憂鬱な仕事だわ、と鶴田典子(つるた のりこ)は倉庫のスイッチを手探りで探しながら考えた。迷宮街の道具屋は商売をする上で非常に大きなメリットを享受していた。最大のものは競合す…

 10:23

ぼんやりとコーヒーの表面を眺めていたら、視界の端っこにすっとピーナッツの皿が差し出された。見上げるとバーテンの小川肇(おがわ はじめ)がこちらを眺めていた。手にはドリンクバイキングのマグカップをもっている。甘いにおいはココアだろうか。「遠慮…

 20:32

「あ、また転んだ」 北酒場には時ならぬ特設リングが出来上がっていた。その中央で行われている見世物を眺めながら落合香奈(おちあい かな)は呟いた。派手な音と一緒に歓声が沸きあがる。いま転んだのは高田まり子(たかだ まりこ)の部隊の前衛で、神足燎…

気分が悪い。 原因はわかっている。津差さんの部隊の新しい治療術師、幌村幸(ほろむら みゆき)くんと話したからだ。彼は俺より一つ年上、一浪して東大だそうだ。努力の結晶と安泰な将来の可能性を蹴って迷宮街に来た彼はそういった経歴を隠すでもなく誇る…

『ノーモアクリスマス!』 パレードは首謀者の真城さんが突然「いやホントごめん! マジで! あとよろしく!」と言いながら裏切ったものの、参加人数24人と犬3匹という立派な成果をあげた。馬鹿ばっかりだ、この街。先頭は真城さんに選んでもらった高級服に…

日陰の雪もほとんど溶けた暖かい一日。 常盤くんからメールあり。以前書いた、事故を起こして意識不明だった彼らの友達が亡くなったのだそうだ。今日が本通夜、明日は葬式だけど明日の午後中に帰ってくると言っていた。残りの四人で話し合った結果、水曜日は…

 23:17

真壁啓一(まかべ けいいち)を笑顔で見送ってから、神田絵美(かんだ えみ)は真城雪(ましろ ゆき)の猪口に日本酒を注いだ。迷宮街の女帝はすでに相当酔っており真っ赤な顔でにこにこと自分を見つめている。なんだってわざわざ引っ掻き回すようなことを言…

午前中は訓練場で訓練をして過ごした。最近は地上では打ち合いの時間を減らすようにしている。平らな床の上で動くことに慣れてもあまり意味がないと思うようになったことと、とにかく剣筋を精確に、太刀行きを速くする練習が重要だと思うようになったからだ…

朝八時にフロントから部屋に電話をかけてもらったら、ひどい寝癖のまま降りてきた。手に下げているのは昨日洋服を買った紙袋だから、その寝癖のままで戻るつもりかと尋ねたらうなずいた。タクシーならいいでしょ? とのことだ。それはかまわないが、午後から…

 15:15

「うわー!」 黒い毛並みがびくりと震えた。その犬は怯えたように目の前の女性を見上げる。見知らぬ来客に精一杯振っていた尾が、ぱた、ぱた、と控えめな動きになっている。うるさいよ雪、怖がらすな! と神田絵美(かんだ えみ)は部隊のリーダーである女戦…

ついに芸能界デビュー!(by笠置町葵)だそうだ。 午前中に軽く身体を動かしてモルグに戻ったら告知の張り紙が出ていた。本日一八時までに以下のものは事業団の事務所に出頭と書いてあった。こういった通知はたまにあって、大体が喧嘩したので叱られるとか落…

第二層で地図ができている個所をすべて歩き終わった。曲がりくねった洞窟だから正確な大きさはわからないけど、歩いている時間だけで五時間はあったと思う。体感的に時速四キロくらいの速度で進んでいるから、ゴツゴツした洞窟内を警戒しながら二〇キロは歩…

ユッコにアキ、お元気? 姫はそんなに元気じゃないでござるよ(考証しろよ)。今日、他の探索者の人たちとお酒飲んでたら、なんか道具屋の女の人が雰囲気ぶち壊してくれました。前から気に入らなかったのよねー、あのおばちゃん。 なんか、今泉くんのもと担…

 19:12

乾杯をした時点では確かに二人だった。しかし一五分後には差し向かいのテーブルから円テーブルに移り、五人が腰掛けていた。 神田絵美(かんだ えみ)が製造に携わったログハウス風犬小屋も本日無事完成し、手伝い半分話し相手半分で見物していた小林桂(こ…

 12:45

迷宮街では日常生活にかかわることの大半が一般企業にゆだねられているが、簡単に参入できるというわけではなかった。スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどはある。しかし衣服や本、一般的ではない食材、娯楽の類は街の中に立ち入ることは許されな…

ユッコにアキ、お元気ですか。姫です。なんかね、同じグループの今泉くんには姫って呼ばれてます。気品があるからかしら(わがままだからだよ/気づけよ)? 今泉くんはちょっと女装させたくない(負けたら落ち込みそう/というか負ける/今でも負けてる)く…

 13:25

この二日間で屈辱とともに思い知ったのは、人間はついに追いかけっこでネコに勝てないという事実だった。だから、久米錬心(くめ れんしん)からの電話で迷宮街の南外周部にたどりつき、ベンチに座り本を読む神田絵美(かんだ えみ)とその隣りでおとなしく…

 12:07

迷宮街は探索者と労働者、自衛隊など合わせて15,000人が生活できるようにと設計されている。治安上の(街から外界を守るという)必要から大きく円を描いて高い防壁で囲まれていた。今の時点では住民の総数は限界にははるかに届かず、中心部から離れると手付…

苦笑とともにもらした呟きは同席している人間に意外に感じられたらしい。双子の妹である笠置町葵(かさぎまち あおい)が代表して問いかけてきた。 「国村さんがちゃっかりしてるって・・・どういうこと?」 笠置町翠(かさぎまち みどり)はその言葉に妹の…

目を閉じたままでも周囲には気を配っており、平べったい音を上げるスリッパの足が自分をめがけてやって来ることに気づいていた。だから、来客が声をかける前に国村光(くにむら ひかる)が顔をあげたことで神田絵美(かんだ えみ)は驚いて立ちすくんだ。 「…

笠置町隆盛(かさぎまち たかもり)は真壁啓一(まかべ けいいち)を最後まで認めなかったな。神田絵美(かんだ えみ)がそのことを懐かしく思い出したのは、なぜだか目の前に寝転がる中年を眺めてだった。男は名を神足燎三(こうたり りょうぞう)といい、…

自分の名前を呼ぶ声に笠置町翠(かさぎまち みどり)は放送席のほうを見やった。そして視線は笑顔のすぐ下にそれた。感じたのは、納得。かつて家に遊びに来た真壁啓一(まかべ けいいち)と妹の葵が珍しく手に手を取り合わんばかりに同感していたこと、それ…

『緑コーナー、笠置町翠(かさぎまち みどり)! 黒コーナー、黒田聡(くろだ さとし)!』 歓声が高まる。マイクのスイッチを切ると、真城雪(ましろ ゆき)は小さく身震いした。 うわあ気分いい! さっきからこのアナウンスしてみたかったんだ! さいです…