常に明確に未来の筋書きを予想する。
その筋書きをもとに最適な自分の行動を計画する。
実際の事態の推移はもちろん予想通りにはいかないから、どのようになぜ異なったのかを確認する。
これは大なり小なり社会人の大半が意識していることだったが、その度合いにおいて国村光(くにむら ひかる)は徹底している。効率よい身体の使い方を常に考えている影響もあるかもしれないが何よりもその職業に由来するものだったろう。国村が半期で達成するべき粗利益目標を所定の労働時間で割る(意地でも実労働時間では割らない)と125,000円となるが、これはつまり自分は時給125,000円以下の行動をしてはならない、ということなのだから。無駄な行動は許されない。
試合終了後からこれまではその国村の面目躍如たる一連の流れだった。
診療所で治療を受けながら優勝者の黒田聡(くろだ さとし)に衣服の替えを貸してくれるように依頼した。自分が着てきたものは連戦の汗で重くなってしまっていたからだ。幸いにも診療所で治療を終えることができ戻った木賃宿のコインランドリーで黒田の洋服に着替えて自分のものを洗濯し、銭湯に向かった。木賃宿を管理している女性とは懇意だから洗濯が終わったら乾燥機に入れておいてもらうようにも頼む。風呂場で眠ってしまってあとからやってきた黒田に起こされたのは計算外だったが、乾燥機に移すことを頼んだ女性が気を利かせてたたんでおいてくれたからそれも帳消しだろう。そして試合終了して2時間も経たずに国村は北酒場のドアを押すことができた。これならば早い時間に名古屋の自宅に帰りぐっすり眠ることができるだろう・・・。
しかしその前に受取らなければならないものがあった。
喧騒の中、ぐるりと店内を見渡す。今日の大会の影響だろうか? それとも平日はこうなのか? 普段見る酒場よりも熱気があるような気がした。見渡すと、目だって華やかな一角に求めていた人間の姿を見つけた。
「真城さん」
呼びかけた相手は顔なじみの探索者の一人で真城雪(ましろ ゆき)という。その美貌と戦闘能力と権威とでこの街に君臨する女性だった。ほんのりと赤くなった頬で国村を見上げ、笑顔になる。かけられたねぎらいにお疲れさまと笑顔を返した。
「もう名古屋に帰らんとならんのだが、ミラコスタはどこでもらえるのかな?」
回答はまだ配っていない、というものだった。
「国村くんも黒田もいないのにできるわけないって。黒田はさっき見かけたからそろそろやろうか?」
そして視線を座の一隅に移す。つられて送った視界には今日なんどか会話した顔があった。もうチケットは持ってきているか、という真城の質問に小柄な――ショートカットと野暮ったいメガネがあいまってまだ大学生くらいの探索者だと思っていたが、商社の人間だったらしい――娘がにっこりとうなずいた。よし、いい流れだ。
「ええと――すみません、おチビさん。お名前は?」
国村の言葉に三峰えりか(みつみね えりか)の顔がこわばった。三峰ですという声は固い。
「三峰さん、ミラコスタの優先宿泊券、もし余っていたら買いたいんだけど」
「なになになによ国村くん。尚美以外とも行く気?」 真城の茶々は黙殺する。娘は固い表情のまま一瞬だけ考えたようだった。
「ありません」
返事はにべもなかった。そして――
「あと、私はおチビさんじゃないです」
しまった、口を滑らせた。ないというのは怒らせたからか? せっかくいい流れだったのに。
「えりか! 嘘はいけません。お前がおチビさんじゃなくてこの街の誰がおチビさんなのさ。曲げたヘソ戻す必要はないけど嘘をついたらお母さん悲しいな」
真城の酔った言葉にぶすっとした表情をし、それでも娘はほんとうにないんです、と頭を下げた。これは事実だろう。国村は腕を組んだ。
目標は、ホテルミラコスタの優先ペア宿泊券を無事に持ち帰ることにある。再確認する。
それは奇妙な話だった。その券は彼が勝ち進むことで手に入れた正当な賞品なのだから。しかし奇妙を押し通す枷が一つ課せられていた。審判をしていた絶対的強者がどんな気まぐれによったものか命じたのだ。そのときの対戦相手に譲ってやってくれ、と。奈落に叩き落された気がした。
しかしあきらめきれない。それが今の思案の動機である。
最初に考えた方法は、提供元である商社にまだあるであろうチケットを適正な価格で買い取り、それを佐藤に与えることだった。しかしそれはいまのやり取りで不可能に終わった。失言のためだとは考えたくない。では、対戦相手である佐藤良輔(さとう りょうすけ)とチケットの奪い合いをしなければならない。
この場でチケットを受け取り佐藤に渡さずに立ち去ること――それは可能だ。佐藤はこのチケットに対して期待も何もしていない。賞品を訓練場で渡されたならば教官の目につく可能性があったがここならば妻子もちの男はやってこない。猫ババ(恐ろしいことに、自分自身の中にもその意識があった。それほどまでに教官の意向は重大なのか、とぞっとする気分になる)の現場を見つかることはないはずだ。
現行犯逮捕は免れても、後のやり取りで発覚する可能性はないだろうか? 一瞬考えてない、と結論づけた。教官は第一線の戦士たちに請われて相手をすることがほとんどで、第二期の中で自ら話し掛ける相手など理事の娘以外にはいなかったはずだ。これまでの佐藤に対する無関心がいきなり覆ることは考えられず、ということはこのチケットが教官の記憶に残っている間に佐藤と会話をする可能性は限りなく低い。
よし、いい流れだ。国村はにやりと笑った。あとはチケットを受け取りすぐに立ち去るだけである。もう新幹線を予約してしまおう。
京都で懇意にしている旅行代理店への呼び出し音を耳にしながら、真城が張り上げる声を聞いていた。
「ご褒美の時間ですよー! ベスト8どまりだった人は出ておいで!」
身も蓋もないその表現に苦笑して、呼び出し音を待つ視線が入り口に吸い寄せられた。それはまさに引力を備えていた。
入り口のドアの付近で席を探している橋本辰(はしもと たつ)の姿を眺めながら、今ひとつ働かない頭でただ、隣りに立っている少年は息子だろうか、似ていないなと考えていた。