まず結論を述べれば今日も翠にはかすることさえもできなかった。それでもかなり目が慣れてきたと思う。昨日と同じく俺と津差さんは交代、彼女は動きづめだったが、昨日は軽々こなしていた彼女が何度か休憩をはさんでいたのだから。訓練場に隣接しているコンビニでお茶とお菓子を買って休憩した際に、どうしてそんなに強いのかと訊いてみた。答えは「物心ついた時から父親に鍛えられてきたから」というものだった。なんて親だと驚いたら、そういう家柄なのだという。そして「うちのお父さん知らないの?」と不思議そうに尋ねられた。
唐突に思い至った。この迷宮ができた当初、自衛隊による探索、掃討のアドバイザーをつとめた人が、確か笠置町なんとかという夫婦じゃなかったか。それを口に出したら、津差さんが呆れたように俺を見た。彼は名前だけですぐにわかったらしい。笠置町夫婦(翠と葵の両親)は自衛隊による掃討が甲斐なしとなったあと、自衛隊は警備とインフラ整備のみであとは一般人の志願者が探索するという現在の形式を提案し具体化した人々でもある。そしてこの迷宮探索事業団の理事でもあった。えーとつまり、あれか。俺は現場の社長の名前を知らない派遣社員ということになるのか?
あの地震で迷宮ができた時、右往左往する政府に対して有力な助言をしそれが聞きいれられることが、笠置町夫妻の能力と名声というものを示している。話に聞けば彼女の家柄は今回のようなことが起きた時のために剣と術を磨くことを義務づけられているのだそうだ。なんて時代錯誤な、と呟いたらまったくだわと頷かれた。実際のところ彼女たちの両親も自分や娘たちの存命中にこのような事態が起きるとは思いもせず、ただ「今日雨が降っていないからといって、傘を捨ててしまうのは愚か者のすること」ということで自分たちも研鑚し、双子の娘にも技術を伝えたのだそうだ。そして雨が降った。
「うーん。子どもの頃は、友達が寄り道するのにどうして私だけまっすぐ帰って素振りをしなきゃいけないんだ、って嫌だったけど、ある程度の実力がついたころからは剣自体が面白くなったから。今は、それを試せる事態がやってきて、――本当はいけないんだけど――嬉しいのが正直なところかな」
こんな非常事態が起きて残念だった? と訊いたときの返答がこれだ。
休憩をはさんだ後半の訓練では翠の双子の妹、葵も見物していた。彼女もタカ派で俺と部隊を組むことが決まっている。彼女は母親から魔女としての訓練を受けており、いまさら初歩的な訓練の必要はないということで治療術師と罠解除師を探してくれていた。二人見つかったから、明日の朝引きあわせてくれるという。「真壁さんは剣道の経験者?」と真顔で訊かれた意味は、動きがサマになっているから。少し自信を回復する。
笠置町姉妹は一卵性の双子ということで顔かたちはそっくりだが、筋肉のつきかた、日焼け、髪型で判別に困るということはない。姉の翠が比較して大柄(とはいえ充分スリムなのだが)、日焼けして、髪は明るく脱色した肩口までのストレートである。短い髪は運動するのだから仕方ないのだろう。妹の葵はほっそりして色白、髪は肩甲骨くらいまで伸ばして緩やかにウエーブさせている。色は黒。共通しているのは充分美人だといっていいレベルだということで、あとはまるで別人のようにも見える。
姉妹が切り上げて河原町まで買い物に行った後は津差さんと打ち合った。そして驚いた。津差さんとは昨日の朝に一度だけ打ち合ったが、そのときに比べて明らかに威力も早さも正確さも増していたから。そして自分がそれに充分ついていけたから。津差さんに尋ねると、昨日の朝に比べて俺は身体の動きが滑らかに、早くなっているとのこと。ずっと翠とばかり打ち合っていたからわからなかったけれど、俺たちはとても上達しているようだった。
その晩は笠置町姉妹に呼び出され、小寺と岸田さんというハト派のもう一人の戦士の人と一緒に鴨川沿いの中華料理屋で食事をした。北酒場では安く飲めるけれど、こういうところでのんびりするのもいいものだ。夜景もきれいだった。