寒い寒い! 今日は雲ひとつないいい天気だったのに、その晴天も「風に雲がふきとばされたから?」と思えてしまうくらいに寒い一日だった。モルグで寝起きしていると、大概六時ごろに目覚ましでいったん起こされる。大半の探索者は感覚が鋭敏だし、その時間には自然に目覚めるように前夜眠るから長い間鳴らしつづける奴はいないけれど、今日のように明日初陣というような新参者が隣のベッドになると最悪だ。緊張して夕べは眠れなかったのだろう。およそ五分以上目覚ましを鳴らしてくれた。そこまでして苛立って、俺が起こした。床の冷たかったこと! 生きて帰ってきたら文句を言ってやるつもりだったのに。
そんな時間に床の冷たさに起こされてしまったので、二度寝もなんだしということで着替えて訓練場に向かった。最初はのんびりと30分くらい歩き、次はショートジョグで一時間、そしてそれなりの(時速15キロくらい?)ペースで一時間。食事を終えた探索者たちがぞろぞろやってきて準備運動を開始したので空いているうちに、とバランスボールにチャレンジ。橋本さんが効果を認めたため、訓練場の片隅には今では20個以上のバランスボールが置かれている。最近は上に立って木剣を振ることができるようになってきた。
すっかり汗をかいて、おなかも減った10時に終了。入れ違いに翠がやってきた。嬉しそうに「今日からコタツがくるのでお鍋をしよう!」と誘ってくれた。もちろん快諾する。何の鍋にするのか? と訊いても「決めてない」と返答が返ってきた。いかんなあ。せっかくだから買出しに行くことにした。
スーパーの開店を待って干ししいたけを購入。それをもって笠置町屋敷に行くと、すっぴんの葵が眠そうに出てきた。休みの日はこんな時間まで寝てることがしょっちゅうという言葉に、この街でもブルーカラーとホワイトカラーの別はあるのだなとしみじみ思う。
干ししいたけを戻しておくように頼んでから、木賃宿で漫画を読んでいた常盤くんを拉致して地下鉄に乗る。目指すは三条通り商店街だ。いつも自転車で通り過ぎたときに惹かれていた場所だった。狭い往来に活気のある店と時が止まったような店、地元民の生活のための店と観光客をだますための店が隣り合っている。常盤くんはしきりに「へえー」と感心したような声をあげていた。たった数種類の食材を買い込むだけなのに、いちいち常盤くんが店を覗き込むから買い物が終わったのはもう午後四時過ぎ。ちょうどいい時間になっていた。
笠置町屋敷に食材を持っていくとすっかりおしゃれに変身していた葵が出迎えてくれた。食材を見せて切り方を簡単に指示すると、てきぱきとやっていく。高校を卒業してからずっと家事手伝いだったときに母親に習ったのだそうだ。もう一人は? と訊いたら、「何にもできないのがばれるのが嫌なので居留守」とドアの向こうから返答があった。イメージ通りだから大丈夫と返すと出てきた。こんな単純な天照だったら神話にならないだろう。
出来上がるころに児島さんを呼び出してお鍋。考えてみれば、児島さん常盤くんとゆっくり話すのは初めてのことかもしれない。彼らの事情を話してもらった。一緒にバンドを組んでいた友人が自動車事故を起こしてしまったのだそうだ。友人は意識不明、そして遺族に対する多額の賠償金が発生したという。ここに来て好転してますよ、とからりと笑う常盤くんを、えらいなと思った。親類でもなんでもない友人の事故の始末を二人がつける必要はないはずだ。たとえば二木が同じ状態になったら、俺はあいつのために迷宮街に来れるだろうか?
真城さんの次の男は真壁さんですか、と非常に直截な質問が葵からもたらされてびっくりした。何の事はない、昨日部屋を見せてもらったのを誰かが目撃していたのだそうだ。その流れで由加里がこっちに遊びにくることを話したら、翠が会いたがっていた。えーと、たまの逢瀬を邪魔するのはどうかと思いますよとやんわりと断ったらしょんぼりとしてしまった。
…・…少々可哀想だったろうか?