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高崎和美(たかさき かずみ)は階段の上に男の影を見つけて顔をこわばらせた。木賃宿と呼ばれる彼女の勤め先、三階部分は基本的に男子禁制なのだ。四階から上に行くために通る可能性は確かにあるが、男性はエレベーターを使用するように暗黙の了解ができあがっている。怒鳴りつけてやろうと身構えて、人影の顔がこちらを向いたのを見て思いとどまった。親しい顔は困りきっており自分を見て心からほっとしているように見える。何か事情があるのだろうと思ったからだ。しかし連れてきた息子の隆一にはそういった配慮はまだ早かったようだ。
「あー! 啓一覗きだー! 覗きー! 啓一が覗きー!」
いっしょに連れてきた探索者の娘、星野由真(ほしの ゆま)も覗きー! と和する。
真壁啓一(まかべ けいいち)は傷ついた顔をした。高崎は息子の頭を軽く叩いて黙らせどうしたのかと問いかけた。
「うちの彼女がまだ中で寝てるんですけど、誰かに起こしてもらおうと思って・・・」
非探索者だという。だったら一目瞭然なので軽く請合って中に入った。小学五年生の息子は、二年生の女の子をつれて階段を駆け上がっていった。探索者の一人、津差という男のところに遊びに行くのだろう。
洗い立てのシーツをソファの上においてモルグを見渡す。探すまでもなく、この広間で使われているベッドは一つしかなかった。彼はきっと出てくる人を捕まえて起こしてもらうように頼むつもりだったのだろう。他の宿泊者がいないから高崎がこなければずっと待ちぼうけを食わされるところだった。
そのベッドに近づいて苦笑した。二段ベッドの下のフロア、狭いそのスペースに女の子が二人並んでいる。寝巻きですらないところを見ると、話し込んでいるうちに面倒くさくなって寝てしまったのだろうか。片方の娘には見覚えがあった。理事の娘でよくここにも本を読みに来る探索者だ。名前は笠置町――なんだか、一文字の植物の名前だったと思ったが思い出せない。顔をあわせると常に軽く会釈してくる(理事の娘というお嬢様育ちの割には)いい子だと思っていた。
それが、と床上に散らばる化粧品を眺めてため息をつく。もう一度理事の娘の顔を見た。常日頃の顔は化粧気は最小限だったのに、今朝はかなり積極的で好戦的なメイクになっていた。もう一人の娘(こちらが真壁の恋人だろう)に教えてもらっていたのだろうか? そう、整った顔立ちによく映える化粧だったはずだ。シーツや枕、隣りに眠る娘の頬でかき乱されていなければ。真壁の恋人の頬も赤やら青やら華やかな状況になっていた。二人を揺さぶる。
うあ、と声をあげて二人同時に目を覚ました。それを確認してベッドを後にした。
背後でお互いの顔を笑いあう声が聞こえる。気遣わしげに突っ立っていた真壁を追い払うように手を振った。
「当分準備できないだろうから、北酒場でお茶でも飲んで30分もしたらまたおいで」
真壁は情けなそうな顔をした。