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女性たちが一様に視線を泳がせしりごみしている。その顔にはありありとおびえが浮かんでいた。
であれば、とその輪の外側の男たちを見つめたが皆が視線をそらした。津差龍一郎(つさ りゅういちろう)はため息をついた。いくら慎重な俺でもこんな問題は予想できんよ、と思いながら。
迷宮街事業団に勤務している家族たちが行った新年の餅つき大会、最初は行くつもりはなかった。予定変更は七歳の少女の姿をとってやってきて、惰眠をむさぼっていた午前十時にどんどんと扉を叩いたのだった。どうしたの? と星野幸樹(ほしの こうき)の娘由真に訊くと「お餅をつこう!」という。暇なので行ってみることにした。そういう地域の催しに経験がなかったから。
モルグを出ると由真は当然のように肩車を要求した。ははんなるほどと津差は合点した。おそらく小学校の友達もたくさんいるだろう中に、この大きな乗り物で登場したいのだな? 笑って肩車をしてやると、髪の毛を掴んで操作するつもりらしい。はいはいと指示どおり歩いていった。通りがかった探索者の一人に肩の上から手を振る姿はご機嫌そうで、乗り物としても嬉しい。。
そうして三つの臼と杵、もち米が湯気を立てる広場にやってきた。事業団の家族達が、おそらく街中ではみかけられているのだろうが、この巨人と最初の接近遭遇にどよめいた。由真がうれしそうに足をぶんぶんと振る。右ほほに一発いいのが入った。
当然のように杵を渡され、あらかた米がつぶされた臼の前に引っ張られる。たちまちに周りに見物の人だかりができた。由真を左肩に移すと片手だけで軽々と杵を持ち上げる。どよめきの声を聞いて嬉しさのあまり暴れる由真をしっかりと抑えたまま、軽く杵を振り下ろした。衝撃音に続いて劣らない歓声と拍手が沸き起こり、それが静まったとき「ほら誰かひっくり返さなきゃ!」と当然の意見が出てきた。そして主婦達は顔を見合わせた。
一瞬後にわきあがった私ダメ怖いの輪唱。数秒待って津差は、自分がつかなければいいのだと思い至った。取り巻いている男たちに杵を差し出すものの(柄を持ったまま手首の力だけで杵を静止させているのもおびえさせる原因だったがもちろん津差は気づかない)、男たちも今の怪力パフォーマンスのあとによく続くものもいない。
「あたしがやる!」 と決死の顔でコンビニのアルバイトである織田彩(おりた あや)が前に出た。と、その肩に手が置かれた。彩ちゃんじゃたぶん風圧だけで吹き飛ぶわよ。無理はしないことだよ。そう諭して津差を見る女性――織田の呟きを聞くところでは中村という姓らしい――と視線がぶつかった。
つよい光に一瞬だけたじろいだ。化け物たちにも、それよりも恐ろしい探索者たちにもひるんだことのない(ちなみに理事夫婦は別だ)自分が、だ。さっと腕まくりをしてペットボトルの水を手にかけるその女性から視線が離せない。年のころは三〇よりは少し下だろうか? しかし自分よりは年上だろう。背はひょろりと高かったがスタイルが良いというわけでもなく凡庸な顔立ち、穏やかな配色のセーターとズボンはどこにも目を惹く要素などない。しかし、その瞳だけは別だった。薄皮一枚内側では覇気が燃え上がっていることをありありと示す双眸。彼女は杵の脇に膝をつくとおびえた風もなく津差を見上げて笑った。右手は商売道具なんだ。つぶしたら嫁にもらってもらうからね。
笑顔を浮かべ、合いの手に合わせて杵を振り下ろす。ちょっとテンポが外れている肩の上の小学生の合図も耳に入らず、視線が細い首にさまようのをなんとか押しとどめて。ふと、つぶすのもいいかなと一瞬思い慌てて振り払った。