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「津差さんは、まあ、当然だな」
その言葉が頭にこびりついている。精鋭四部隊の一角、魔女姫こと高田まり子(たかだ まりこ)が率いる部隊の罠解除師のコメントである。精鋭部隊へ第二期で侵攻意欲があり優秀な人間を出稽古させようという試み、まず一人目として選ばれたのが自分だった。緊張と恐怖に小刻みに震える膝を抑えながら集合した道具屋の前、若林暁(わかばやし さとる)という罠解除師は言ったのだった。お前なら自分たちに加わるのも当然だと。
自分は確かに――それはわかっている――自分は確かに第二期の戦士の中では強力な一人なのだろう。そのことは自覚している。それでも当然のように笠置町翠(かさぎまち みどり)や真壁啓一(まかべ けいいち)という戦士たちの同列あるいは上に並べられることは妥当とは思っていなかった。
結局はでかいだけの男じゃないか。その思いがある。確かに並外れた筋力は部隊の仲間が砕けない化け物の鎧を両断するし、広い歩幅は普通よりも早い踏み込みを可能にする。しかし身体というものはもって生まれたもの、いわば努力して手に入るものではなく、それだけで優れた戦士たちよりも上に並べられることには憤りと――恐怖を感じていた。これを鵜呑みにしてはならないと思う。
ここまで強く考えるようになったのは、真壁啓一の戦闘時の動きを見たからだった。今年に入ってからデジタルカメラのかわりにデジタルビデオを携帯するようになった常盤浩介(ときわ こうすけ)が、その大学時代の先輩にあたる技術者に見せるために上映していたその光景、技術者は怪物たちの動作に注目していたが、津差は真壁の動きから目を離せなかった。
どうしてそこまで確信をもってかわせるのか、切りかかれるのか――後ろに目でもついているのか?
突進するクマに跳ね飛ばされ、もう一匹に頭を叩かれたシーン。最初の衝撃(テープには映っていなかったが、それまでにもいなばと呼ばれる化け物の突撃を数度にわたって受けているらしい)で状況がつかめなくて当然だったのに、かぶとを張り飛ばされる直前に首をねじっている。目で見た風景がそのまま身体を動かす命令に直結されているような、これは一体何事なのかと呆然として画面を見た。
ぞわり。鳥肌が立った。同時に脳裏にその化け物の情報が映し出される。正式名称をシェイド、通称をのっぺらぼうと呼ばれる人間(のような生き物)の上半身だけが空中を漂う化け物。密度をコントロールすることができるらしく、しばしば生物にガス状でしのびより絡みつくようにして実体化し縛り付け、倦怠と呼ばれる澱のような疲労物質を注ぎ込む。この倦怠はどうしても晴れる事がなく、身体的精神的な老衰をもたらした。この感覚は、と理解する。自分の上半身に絡みつくようにのっぺらぼうが密度を増しつつある。その両手が十分な質量をもったとき、自分の身体は羽交い絞めにされ倦怠が注がれるのだろう。今ならまだ、数歩移動するだけでそれから逃れることができる。しかし津差は動かなかった。
俺と真壁の差は、と恐怖にガチガチと鳴る歯をかみ締めながら考える。俺と真壁の差は、持っている物差しの差だ。俺はセンチメートル単位の物差ししか持っていない。しかし真壁は、おそらくミクロン単位まで正確に測れるものを持っている。冷静に扱うという前提であれば、物差しの精度の差は限りなく大きい。何しろ一四・.九二センチで何かに衝突するとわかっているとすれば、自分は一四センチで回避しなければならないのに真壁は一四・九一センチまで踏みとどまれるということなのだから。距離感覚だけではなくありとあらゆるもの、時間、自分の身体の使い方、体力的な限界、まあ女の扱いはお世辞にも上手とはいえないと思うが、およそ戦闘に関するありとあらゆることにその精度の高い物差しは活用されているように感じる。
その差は生まれついてではないだろう。これまでの人生で自然に培ったもののはずだ。であれば、自分にだって鍛えられるはずだ。その鍛錬は命がけでなければならない。たとえ、自分の身体にまとわりついているのっぺらぼうの実体化を極限まで耐えるような――恐怖であごの筋肉が震え、うまく奥歯をかみ締めることができない。
誰かの叫び声がした。しかししっかりと目を閉じ肌に意識を集中させているからよく聞き取れない。まだだ、まだだ、まだだ――汗が流れていくのが一ミリの単位で感じられる――まだだ、まだだ――悲鳴のような声が鼓膜より早く肌を叩く。空気が大きく揺れ、何かが自分に近づいてくる気配。前衛の誰かが自分を突き飛ばそうとしている――まだだ、まだだ。
そして大きく目を見開いた。