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敵は手加減してくれないのにどうして教官が手加減しなければならん? 父親の口癖だった。だからその教えを叩き込まれた鈴木秀美(すずき ひでみ)もまた、訓練場では一切の手加減をするつもりはなかったし、戦乱の世の中でもなし、他に職はいくらでもあるこのご時世でわざわざ素質のない人間を戦士として鍛え上げるつもりはなかった。だから海老沼洋子(えびぬま ようこ)に頭を下げられて木剣を手に打ち合ったときもすぐに引導を渡そうと思った。
それでも「もう一本」の声に付き合っていたのは何かに引っ掛かりを感じたからだ。なんだろう?
両刀を左右に垂らしたまま無造作に間合いを超える。右の剣先をかすかに動かした。海老沼の眼球がそれにつれてぶれる――そうだ、これだけの動きでもフェイントを見つけて引っかかるのがまず不似合いなのだ。経験を積んで、胴体を見るだけで四肢の動きを予想できる水準にまで達していなければ気づけない程度のかすかなフェイント。目の前の未熟な戦士には当然必要ないが、自分にとってはもう癖のようになってしまったこの高次元の剣術、探索者の戦士にあっても気づけるのは理事の娘くらいではないだろうか? そして左手の斬撃を繰り出す。右に向いている眼球からでは察知できないように、いちど肘ごと後ろに引いてから繰り出している。右に引っかかったならば、こちらに対応できるはずがない一撃だった。
カシ、と音がしてその木剣がはじかれた。まただ、ともはや焦りを感じずに納得した。これまでどうしても引っかかった点が何かわかったのだ。この女性は、体力も筋力もスピードもまだまだだが視野が異常に広い。それこそ、赤ちゃんが生まれた直後にもっている視野の広さをこの年で維持しているのではないかと思われた。左の剣を防いだ海老沼の剣を軽く右で払った。そして返す刀で肩を打った。
「もう一本!」
秀美はにっこりと笑った。ちょっと休憩しましょう。しかし海老沼は必死の形相でもう一本と叫んだ。
「強くなりたいんですよね。だったら休憩しましょう。そして、休憩後はちょっと二刀を試してみませんか?」
二刀? きょとんとした顔にうなずく。
賭けですけど、もしかしたら海老沼さんはそっちの方が向いているかもしれませんよ。
言葉では「もしかしたら」と控えめにしている。しかしもう少しだけ自信があった。それが伝わったのか、一つ年上のいかつい女はうなずき、気が抜けたようにその場に座り込んだ。