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洞窟というのだから富士のふもとの風穴や氷穴を思い浮かべていたが、それは良いようにも悪いようにも裏切られた。あれほどには狭苦しくなく、電気が完全に通っているので暗くもないことは嬉しい予想外だった。しかしライトは両側の壁から照らされるために自分たちの影は長く伸び、その長い影でも左右の壁面には達しないことがその広さを実感させ心細くさせた。目を凝らした壁面にはいくつもの切れ目がある。同行する探索者たちが常にその切れ目に視線を置いていることからも、そこには雰囲気だけではない実際の危険があることが想像できた。探索者たちの緊張は自分たち作業員に重くのしかかり、若い奴らは自然と神経が昂ぶっているようだった。名栗透(なぐり とおる)のすぐ脇で交わされる会話は普段ならば声を潜めて秘して行われるべき種類のものだったが、動きの少ない洞窟の空気を広範囲にわたって震わしそして本人たちもそれを改めようとしないのはやはり常態とは違うのだった。
秘すべき会話、同行の探索者の一人がいい女だと誉めそやすそれは彼女の耳にも伝わっているだろう、しかし彼女は何も聞こえないか、まったく興味がないかのように視線を壁に当てたまま歩を同じくして歩いていく。そのブーツの裏地につけられた鋲がたまに神経をさかなでる音を立てた。他に生まれる音はといえば自分たちの機材がぶつかり合いこすれ合うものと会話だけに過ぎない。自分たちの集団五人を囲むように二集団の探索者総計一二人が囲んでいるから倍以上になる彼らのほうがよっぽど静かだった。そのツナギにはいたるところに金属製の輪がついておりリュックサックや小物入れやいろいろなものがぶら下がっているが、金属は露出しないようにぶつかり合わないようにとの心遣いから生まれる音はゼロに近い。
真っ赤なツナギを身に付けた若い男が口を開いた。
「敵です。前方65メートル右横穴。こちらに気づいています。青鬼か赤鬼、4匹」
「歩調はこのまま。25メートルで北条部隊は半月陣。壁を利用して皆さんをお守りして。私たちだけで片付けるわ。青柳さんと児島さんは半月陣に加わってください。葵は私たちの援護、常盤くんはそのサポート。真壁さん、もう辞めるからって気の抜けたところ見せないでよね。2匹は任せるわよ」
いい女、と呼ばれていた女性だった。自信に満ちはっきりした下知に彼女より年長者の多い一団がいっせいにうなずいた。無遠慮に噂をしていた若い奴らがその様子にしんと静まった。
「最後まで信頼ないんだなあ俺は。――ああ皆さん。ちょっと騒がしくなりますが、皆さんはきちんとお守りしますので自分の身の回りだけ気を配っていてください」 オレンジのツナギを着た男がのんびりと笑う。
50メートル。赤いツナギの男が平然と口にした。探索者たちの様子はそれまで普通に歩いているときとまったく変わらないようだ。作業員たちは、おそらく自分の奥歯がガチガチと鳴っているありさまと大差ないだろう。
「35メートル。来る」
そこで奇声が聞こえ、名栗は驚いて立ちすくんだ。設置されたライトの死角から沸いて出たかのような小柄で毛むくじゃらの生き物が四匹走り寄って来ている。その手にもっているのは短い剣、そしてその目に燃やしているのは純粋な敵意だった。崩れそうになる膝に両手をつけて支える。手を下げたために荷物袋が地面とぶつかり大きな金属音がした。
上半身からして震えているのだろう、視野はできの悪いハンディカメラの映像のように焦点を結ばなかった。その中でオレンジと緑のツナギ姿が滑らかに動くと小さな生き物は全て地面に倒れ伏した。
「うーわくっそ! 真壁さんもしかしてわざと!?」
「うん、狙った。だっていい女いい女って誉められてガチガチだったじゃん翠」
その会話を聞き女性に視線を移した。ようやく揺れがおさまりつつある視界の中で、わずらわしげに袖で顔をぬぐう姿が見えた。ヘルメットのつばから滴るのはあの生き物の血液だろうか? とりあえず水気だけをふき取った顔は半面が凄絶にどす黒く染まっている。若い奴らは気を飲まれたように返り血にまみれた美少女を眺めていた。