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あ、と視線を移して思った。隅のほうのテーブルで食事を取っている男性、あれは。
話したいな。しかし親しい相手でもないし。そう思っていると近くを北酒場のウェイトレスが通りがかった。手には刺身の盛り合わせ。それはどこの? と尋ねるとあなたたちのところと答えが返ってきた。
運んであげるよ。ありがとう! 正直あの人たちもう怖くってさ。テンション高すぎ。
疑われることもなく手に入れた大皿を持ってそのテーブルに近づいた。後藤誠司(ごとう せいじ)という商社の責任者は笑顔を浮かべる。真壁の接近に対してか刺身盛り合わせの効力かはわからない。
「こんばんは、後藤さん。ええと、僕は――」
「真壁くんだね? 今日で終わりなんだって?」
「僕のこと、知ってるんですか?」
日記を読んだ、という言葉になるほどと思った。この人はすごい商売人なのだ。商売の相手が書いた日記は当然目を通すし、書いた人間を知らないとどの程度信頼できるかわからないからには自分のことも見ていたのだろう。お恥ずかしい、と頭をかく。後藤は笑顔で椅子を勧めた。
「真壁くんは学士は取れそうなのかい?」
「それは大丈夫みたいです。まあ卒論ばっちり書かないとですけど。成績は良かったし、教授がすごく動いてくれて」
「・・・そうか。サラリーマンになる気ないか?」
「ええ?」
予想外の問いかけににきょとんとしてしまう。
「うちの会社でよければ、人事にプッシュするけど」
「いや、それは、またまた」
信じられず笑い飛ばそうとするが、後藤の顔は冗談を言っているようではない。それを察して真壁は背を伸ばした。
「やりたいことがある?」
「ええ」
恐ろしい顔つき、と皆は言う。しかし真壁はそれは感じなかった。造作はともかく、中にあるのは信頼できる人間だと感じられるからだろうか。後藤はうなずいた。
「ならそれをやるといい。大きいことをするには会社に入るべきだけど、好きなことをするには一人でいるべきだ」
「後藤さんにはいろいろ教えていただきたかったです」
この街にはあらゆる面で尊敬できる人間はたくさんいた。しかし、存在自体が途方もない、と思えるのはこの人くらいだったと思う。その思いを感じ取ったか、少しの間敏腕の営業マンはまだ学生の年齢の男を見つめていた。
「まあ、今の君はまだまだ若いな。君が二八になってまだ俺から学べることがあると思ってたら、そのときは気軽に茶でも飲みに来てくれ。俺がどこにいるかは絶対にわかるだろうから」
「はい! ぜひ!」