試合場の一角に秋谷佳宗(あきたに よしむね)が姿を現した途端に女性の歓声が沸きあがった。それはどうも「ヨシムネ先生」と呼びかけているように聞こえ、笠置町翠(かさぎまち みどり)は疑問に思う。先刻から自分たちの一段下に座っている二人のうち、試合を控えていない方の肩を叩いた。野村悠樹(のむら ゆうき)は振り返った。
あの一群はなんですか? 指差した先を見ずとも疑問の内容はわかったらしく、秋谷さんの生徒さんたちだよとこともなげに答えた。今ひとつ理解していない顔を見て、社交ダンスのと付け加える。
「秋谷さんの趣味はバレエなのさ。それが嵩じてこのあたりの市民さんを集めて社交ダンスの教室も開いているらしいよ。事業団の事務棟で1Fの小会議場を日曜日に使用してドタバタやってるのを見たことないかな?」
おお、と一つ隣りで真壁啓一(まかべ けいいち)が納得したような声をあげる。普段モルグに起居して暇なら街を出歩いている彼は知っているのだろう。基本的に出不精で、暇なときは部屋で音楽を聴いていてはわからないことだ。今日は勢ぞろいして師匠の応援に来たらしいなと野村は目を凝らした。黄色い声援をあげる集団には若い女性も数人見られる。品定めでもしているのだろうか、と視線を横に滑らせたら仲間の戦士も同じように注視している。野村の身上は良く知らないが、真壁は誠実で魅力的な恋人がいるのに。男ってのはこういう救えない生き物なのだろうか?
すごい人気だなあとしげしげと秋谷の姿を見やる。バレエと言われて納得できるその四肢は細いけれど強靭そうで、ヘルメットから覗く面長の顔は決して美男子とはいえないが、この大舞台と声援にも淡々としている表情が妙に頼もしく感じる。これならば人気も出るだろう。
「よくマンガなんかではダンスをやってる人間は格闘技が強いですけど、あれってどうなんでしょうね?」
真壁の言葉には野村より先に隣りで精神を集中していた葛西紀彦(かさい のりひこ)から返事があった。短く「強い」と。漠然としたイメージから動作を創るという点で千変万化する戦闘とダンスは非常に似通っているという。だから、踊りで人を教えられるほどの秋谷は当然強い。その言葉に真壁は腕を組んだ。じゃ、真城さんも苦戦――
葛西の言葉は続く。だから、結果がどうなろうとも秋谷は強い。真壁は小笠原さんに一分持たずに負けたけどそれは真壁が弱いということを示していないように、秋谷は相手が悪かったんだ。
翠は同意して頷く。野村も肩をすくめた。真壁は釈然としないようにそんな三人を見回している。シマウマ模様のツナギを身にまとった真城雪(ましろ ゆき)が姿を現した。さっきよりもさらに大きな女性の声援が沸き起こった。街の外からもファンが押し寄せているのかもしれない。女帝は集中で心なし青白い顔を険しくさせたまま右手の木剣を点に差し上げた。それは一般的な練習用のもので普段使っているものよりも短い。真壁が小さく「長いの用意できなかったのかな。大丈夫かな」と呟いた。黙ってご覧なさい、と小声で制した。
「真城さん本気で勝ちにきてるよ」