あ。黒田聡(くろだ さとし)はすぐ試合場の向かいに立つ女戦士の異常に気づいた。
笠置町さん、ガチガチになってる。
きょろきょろと揺れる視線、背後の声援のたびにびくりと震える肩。笠置町翠(かさぎまち みどり)の立ち姿からは、これまでの試合で見られたふてぶてしさが消えてしまっている。なにがあったのだろう?
なにがあったのかわからない。が、これは自分には幸運なことだ。先ほどの戦いで一つ抜けた実感があったために、あのサラブレッドとはいえ負けない自身はあった。それでも苦戦は免れえず、それはあの娘に負担になるはずだ。先ほど対戦相手を引きずり起こしても切り合いを続けてしまった事実が心に重くのしかかっていた。しかしああも身体がこわばっているならばすぐに終わらせることができるだろう。そして、自分は最高のコンディションで準決勝に臨める。天才剣士がお面をかぶって参加していると知ったときにはどうなることかと思ったが、この大会はきっと自分の優勝で終わるのだろう。
ひょい、と座る女子高生たちを飛び越えて見慣れた男が翠の脇に立った。真壁啓一(まかべ けいいち)だ。あのサラブレッドに対して唯一支配力を及ぼしていると思われる戦士。黒田は少しいやな予感がした。洗濯機から洗濯物を持ってあがった木賃宿の屋上で、ぽつんと西の空に雨雲を見つけたときのような。
二人は何かを話しているかと思うと、翠の頭がかすかに揺れた。慌てたように顔を片手で抑える。なんだろう?
次いで真壁が自分を指差した。翠が鼻から下を抑えながらこちらを見る。視線はまだ不安げに揺れている。
真壁が自分自身を指差し、翠は真壁の顔を見上げた。そしてまた指差される。二度目の視線からはかなり動揺が抜けているようだった。上空ではどうやら風が強い。雨雲がどんどんこちらに向かってくる。
さらに真壁が自分を指差し、にっと笑った。さっきまで晴れていたのに、足元にくっきりあった影がほとんど判別できないくらい薄れていた。
そしてこちらを指差し、翠の背中をぽんと叩いた。その目にはもう動揺はない。まっすぐに自分を見つめてきていた。ぽつりと頬に水滴があたったような気がした。