「ああもう! とんでもねえな黒田さんは!」
段差に腰掛け膝に額をつけていた男が突然叫んだ言葉はそれだった。鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)はびっくりして葛西紀彦(かさい のりひこ)を見やる。近くにいた人間が多かれ少なかれ驚いた顔をしている中、葛西はそれには気づかず苦笑いのまま隣りに座る野村悠樹(のむら ゆうき)を振り返った。
「さっきから頭の中で闘い組み立ててるんだけど、一度も勝ってねえよ。鈴木さんと笠置町さんに連勝するくらいだから当たり前だけど、はっきり言って勝ち目なし。こりゃもう棄権するか?」
野村は曖昧な表情を浮かべた。第一期の中でも選りすぐりのエリート戦士たちといえども実力差は確かに存在する。葛西がこれから対戦する黒田聡(くろだ さとし)はエーテルを無意識に利用する天才を差し引いても十分上位に位置したし、葛西はそれに比べたらかなり格下とみなされていた。数量化できるものでもないからずれはあるにせよ一般的な認識とすれば以下のような分類になった。
分類不能・・・国村光(くにむら ひかる)、神足燎三(こうたり りょうぞう)
最上級・・・星野幸樹(ほしの こうき)、黒田聡、真城雪(ましろ ゆき)、野村悠樹、鈴木秀美(すずき ひでみ)
上級・・・南沢浩太(みなみさわ こうた)、秋谷佳宗(あきたに よしむね)、寺島薫(てらしま かおる)、笠置町翠(かさぎまち みどり)、内田信二(うちだ しんじ)
標準・・・葛西紀彦(かさい のりひこ)、小笠原幹夫(おがさわら みきお)、光岡徹也(みつおか てつや)、狩野謙(かのう けん)
だから常識的に考えれば黒田の勝利はまず間違いのないことだったろうし、そもそも格上の野村を下した時点で金星と言わねばならないはずだった。鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)にはその理解があったから、弱気な言葉を吐きながらも余裕がありそうな葛西の様子が不思議だった。もうあきらめて、開き直ったのだろうか? それとも少し違う気がする。
「勝ち目がない割には余裕だな、お前」
同じ疑問を抱いたのだろう、野村の問いに葛西はきょとんとした視線を送る。勝ち目はないよ。勝ち目はないけど、これはたかがお祭りだぜ?
そりゃそうだ、と今日子は腑に落ちる。熱戦続きのこの大会、勝者に捧げられる名誉は大変なものだろう。だから友人である戦士もそれを目指して必死になっているのかと思っていたが、案外と冷静らしい。そりゃそうだ。地下での生き死にではなく単なるお祭りなのだから、勝ち目がなかったところで――思考は葛西の言葉にさえぎられる。
「たかがお祭りなんだから、黒田さんが死ぬまでやるはずないだろ?」
いやな沈黙が落ち、その場にいる四人がその顔を見た。若い戦士はその沈黙にも気づいていないようだった。
「イメージした結果では、どれも俺は死んでるけど黒田さんも手足二本は折れてるんだ。俺は死ぬまでやるつもりだけどあの人はそこまで踏み込んでくるかな? 俺が死ぬ前に棄権するんじゃないか?」
なんだか、東から日が昇るといったような当たり前のことを話しているように聞こえる。本当に死ぬまでやるつもりでいるのではないのかと思えてくる。まさか、まさか――これはただのお祭りでしょう?
不安になって視線を移した先、野村が憮然とした顔で「お前とはもう二度と試合もやりたくない」と呟いた。