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ここ三日の晴天で蓄えられた地熱が陽炎となってたちのぼるかのようだった。北酒場に併設されているオープンカフェは、そのお陰で一一月の下旬とは思えない快適さを与えてくれていた。目の前にはホットココアと苺のミルフィーユ。織田彩(おりた あや)は幸せだった。
もろもろのことを含めて千人くらいが住まう迷宮街だったが、意外とも思えることに食事ができる設備は二つしかない。ひとつはここ北酒場であり、ひとつは彼女がアルバイトをしているコンビニの軽食コーナーである。必然的に迷宮街で労働し生活する彼女らも北酒場に足を運ばざるを得なかった。個人的な経験から探索者と近い場所はなるべく避けようと思っていたがこんな陽気でガラガラのオープンカフェを見たら普段の遠慮も控えめになるのだった。
「ねえ、行きましょうよ! 明日は昼シフトでしょ?」
向かいに座っている小林桂(こばやし かつら)を誘う。小林は織田と同じく探索者ではない。道具屋でアルバイトをしながら迷宮街に居を構えていた。現在大学生の織田とは違ってほぼフルタイム働いている。誘いの内容は織田のクラスメートから持ちかけられた飲み会だった。相手は日本有数の国立大学の学生たち。いわゆる合コンである。
小林とは、迷宮街がアルバイトを募集した去年の夏からの付き合いになる。彼女のいろいろなことを見てきた。できれば忘れさせてあげたいいくつかのことも。
んー、とにこやかに首をかしげる顔はあまり乗り気ではないようで、織田はあきらめて背もたれに体重を預けた。木製の椅子がギリ、といやな音を立てた。空を見る。
ふと目の前に座る女性の顔を見たのは、おかしな気配が伝わってきたからだ。周囲をほっとさせる暖かい笑顔はその顔にはなかった。目を見開いて織田の斜め後方を見つめるその顔には血の気が見られない。ぎょっとしてその視線を追った。
北酒場は迷宮街を南北に貫く二車線道路の北側、道路の西沿いに面している。二車線道路には広い歩道が併設されており、少なくない数の人間が往来していた。迷宮街の人口は1,000人程度だとはいえ、日中の人口は(観光客などもあり)3,000人を越えるのだからあたりまえだった。その中に織田の気にかかる人物は見られないようだった。
「…・…今泉くん」
かすかなつぶやきが後頭部を打った。記憶を探ってみたが思い当たるものはない。