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目の前でいらいらと携帯電話を耳につけているのは、この街の探索者でも重要人物の一人、真城雪(ましろ ゆき)だった。彼女については特別なファイルが編集してある。いわく、最強の戦士の一人。いわく、この街での最高権力者で通称『女帝』。いわく、唯一ロイヤルスイートを占拠し同じ服は二度着ないというレディ・アマゾネス…・…。
見たところ、先ほどの鈴木秀美(すずき ひでみ)の電話に関係したことのようだった。すぐにも助けに行きたいのだがその前にするべき準備が整っていないような。おそるおそる、どうしたのかと訊いてみた。じろりとにらむその目には邪魔を迷惑に思う気持ちと、根本的な不信感がある。どうやら桐原聡子(きりはら さとこ)に投げた石はこの女のところにまで効果を与えたようだった。
迷宮街の外の店に必要な道具を用意してもらっているのだが、取りに行ってもらう人間と連絡がつかない。
聞き出したのはそのような状況だった。だったら、と後藤誠司(ごとう せいじ)は携帯電話を耳につけた。
「木島さん? 後藤です。すみませんが、いつも使っている赤帽の電話番号を教えてもらえませんか?」
メモを彼女に渡す。地図から住所を探すこと、この街で最短の道を進むこと、両方とも赤帽より優れているものはいませんよと付け加えながら。
赤帽? と不得要領の顔でつぶやいた。案外、ビジネスで使ってもいなければ赤帽の存在などなかなか思いつかないのかもしれない。後藤は彼女の返事を待たずに電話をかけた。携帯電話は二度のコールでつながった。迷宮街支店の後藤と名乗ってから至急の運搬を頼めますか? と訊く。住所を要求された。
「住所の紙を」
言われるままに差し出された紙を読み上げ、届け先は迷宮街の検問前ですと付け加えた。
「何て言えば受け取れますか?」
おそらく敵意に近いものを抱いていた相手の突然の申し出に少なからず混乱しているのだろうか。気の弱そうな表情は、この強烈な異名を誇る娘の素顔なのかもしれないとふっと思った。説明してやったら、お金を払わないと受け取れません、と言った。
「金額は?」
15万とちょっとという返事。それは赤帽に立て替えさせるわけにもいかない金額だった。とにかく赤帽にその店に向かってくれと、品物の受け取り方はあとで連絡すると伝えて電話を切った。そして再び電話をかける。自分が勤める商社の京都営業所だった。迷宮街の後藤です、と名乗り品物を買う店の名前を伝えた。ここと取引はあるか?
しばらくの沈黙のあと、海外の携帯食料販売で取引があると返事があった。営業担当者の名前と電話番号を訊くとすんなりと教えてくれた。
ことの次第に呆然としている目の前の娘に小さくうなずいて、今度はその電話番号にかける。幸いにも電話はすぐにつながった。名前を名乗ると、若い女の営業マンはかしこまったような声を出した。
「君のお客さんで、マキノ登山具ってあるだろう? そこにちょっと電話をかけてもらいたいのだけど」
メモを用意する間を待って伝えた。今日の真城雪への販売は代わってうちが支払うので、掛で売ってもらうように、と。
営業の女性は少し警戒する空気で金額を訊いて来た。20万円と大目に言っておく。今日すぐにでもうちの事務所に売上立ててくれていいからと言ったのだが、いちど木島さんに確認をさせていただきますと言い残して切られた。なかなか用心深くていい営業だとにやりと笑った。
あ、あの、と真城雪が尋ねてきた。結局どうなったんでしょうか?
「別に難しいことじゃありません」
店の売上は一度うちの会社に立てられるから、今月末までにうちの事務所に対して払ってくだされば結構です。赤帽がいまお店に向かっていますから、お店と赤帽とで受け渡しが出来るように調整しておきます。住所から考えてもあと30分もすれば着くんじゃないでしょうか。鈴木さんの電話は私がつないだんです。これも縁だろうし気にならないといえば嘘になる。早く助けに行ってあげてください。
女帝はぐっと後藤の手を握って頭を下げると、立てかけてあった鉄剣を引っつかんで地下への階段のある部屋へと駆けていった。後藤は呆然とした。まさか、ジャケットとスカートにロングコートという普段着で行くとは思えなかったからだ。