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「だいぶお疲れじゃありませんか?」
高田まり子(たかだ まりこ)の気づかう声に後藤誠司(ごとう せいじ)は首を傾げたが、同席の三人はうなずいた。相変わらずの酷薄な人相、なんとか和らげようという努力がほほえましい顔は相変わらずだったけれど、北酒場の照明のもとでは目の下のクマが目立ったのかもしれない。確かに夕べの資料作成、今朝のプレゼン、新幹線車内でこれから出す資料作成と一睡もしていない。しかしそれはいつものことだ。ビジネスのほとんどの局面では拙速が巧遅にまさることからも、後藤には睡眠を軽視する傾向があった。大丈夫ですよとこともなげに言うとテーブルに感心したような空気が流れた。
北酒場の端に円卓をわざわざ移動し周囲に近づく者のないようにしている。迂闊に近づいた探索者――以前、後藤が救助連絡に関わったときにいた青年だった――が真城雪(ましろ ゆき)に追い払われてからはその空気を察してか近づくものはない。ここに来て予想と外れたことはたくさんあるが、最大のものがこの点だった。この街に集まる探索者たち、自分では想像もできない決断をしてこの街に集い自らの力を頼りに生きていく無頼漢たちは、無頼漢の集まりでありながらもきちんとした序列、秩序を成立させているのだった。事前の情報収集として読んだ雑誌、インターネット上の記述、もと探索者の女性の話などからは読み取れなかったものだったが、救助という互助の必要があることからかその秩序は強く各探索者を縛っている。序列を決するのは肩書きではなく年齢ではなく(とはいえこと探索と離れた日々の事例を解決する上では年功が大きな判断材料になっているようだったが)、探索の進度だった。ここにいる四人は――と歴戦のつわものたちを眺める――そのヒエラルキーにおいて最高位に位置する精鋭四部隊と呼ばれる部隊のリーダーである。新幹線車内から頼み込んでこの場を作ってもらったのだ。
星野幸樹(ほしの こうき)――陸上自衛隊の二尉を勤める自衛官にして戦士。34才。七歳になる娘がいる。
真城雪――女帝、レディ・アマゾネスなどさまざまな敬称を奉られる女戦士。28才。影響力と美貌とで並ぶ者がいない。
高田まり子――魔女姫の異名を捧げられた女魔法使い。探索者中随一の実力を誇る。28才。内弁慶の気があり信頼されたかどうかわかりやすい。
湯浅貴晴(ゆあさ たかはる)――探索者中随一の実力を持つ治療術師。24才とまだ若いためか、探索の方針に関して意見を言うことはほとんどない。が、このようなミーティングに必ず呼ばれることからも一目は置かれているらしい。
着任当初は海千山千の探索者たちとどう交渉していくか悩んでいた。が、彼らに混じって酒を飲み話を聞くうちにそれほど難しいことではないのかとも思えてきた。交渉が同じ方向を向いている限りは。彼らに利益のある提案をしている限りこの四人の同意さえ取り付けていれば決定は問題なく浸透すると思われた。それが、探索者への対策が未然で時期尚早に思われたこの時期から重用な提案を開陳する理由だった。
まずは隣りにいる男性を紹介する。こちらもまた新幹線車内から連絡して、駆けつけてもらった大阪の機械設備製造業者の営業担当者だった。名を堀井太一(ほりい たいち)と言う。外回りの営業にふさわしい日焼けした顔をくしゃくしゃにして堀井は名刺を配ってまわった。女帝がたいち、と呟いた。まだ若い湯浅は名刺をもらうという行為がめずらしいのか紙片をためつすがめつしている。
「どういうお話ですか?」
最年長者である星野が切り出した。はい、と後藤はうなずいてパンフレットを取り出し四人に配った。それは堀井の勤める会社のもので、商品ラインナップがずらりと並んでいる。あら、と声を上げたのは高田でさすが女性というべきだろう。ディズニーランドのメリーゴーランドの写真の前で嬉しそうな視線を堀井に投げた。
「メリーゴーランドを作ってらっしゃるんですか?」
堀井が顔をくしゃくしゃにして笑い頭をかく。おかげさまで納品させていただいてます。
「ひょっとして、迷宮街に遊園地を作るんですか?」
嬉しそうな女帝の声に男二人が苦笑した。後藤は首を振って自分が作成した一枚の図を配った。
四人ともがその図に釘付けになった。よし! とその反応に心の中で快哉を叫ぶ。
それは迷宮内部の写真から起こしたイメージスケッチだった。溶岩を思わせる洞窟は第一層〜第三層のいずれかであることを示している。天井、壁面、真に迫るような質感はあたかも迷宮内部にいるようだったが、奇妙なことに地面がなかった。断崖を思わせる壁面が地面があるべきところからさらに下へ下へと降りている。
探索者ならば一度は目にしたことがある、第一層濃霧地帯の奥にある大穴だった。ある事故をきっかけに、第一層から第四層へと貫く縦穴であることがわかっていた。
そこまでならば写真で撮れるもの。イメージスケッチにはそこに後藤が売りたい商品が描かれていた。人間の胴よりもなお太い鋼鉄の円柱が組み合わされ、洞窟の壁面にビスで留められている。それらの骨組みが支えるのは一つのゴンドラだった。ゴンドラは小さなエレベータくらいの大きさがあり、そのはるか上にある巨大な滑車にぶら下がっていた。それはとても詳細なスケッチだったからいまにもゴンドラが穴の底へと潜っていきそうだった。――いや、と後藤は四人の顔色を見てほくそ笑む。彼らの脳裏ではすでにこのゴンドラは地中へと潜っている。
その絵が示すものをきちんと咀嚼してもらうまで、いくらでも待つつもりだった。とはいえ待つその時間は後藤にとっても甘露だった。自分が提示した商品を、客が欲しくてたまらんと夢中になる瞬間。ありとあらゆる営業の辛さがこの一瞬に思い出され脳内で麻薬と化す至福の時間。これは何度味わってもいいものだ。
星野幸樹はしきりに口ひげをしごいていた。湯浅貴晴は絵から目を離さずにテーブルのビールジョッキを口につけ、それが空であることに気づいてテーブルにもどし、数秒後ふたたび口につけて今度こそ苦笑した。高田まり子には目立った動きが見られなかった。瞬きさえもしなかった。そして真城雪は口元に子どものような、しかし勇ましげな微笑を浮かべて絵を見つめていた。
三分は待ったかもしれない。もう何度目だろうか、またもや空のビールを口につけた湯浅が我に返ったようにテーブルを叩いた。それが合図になって三人が夢から醒めた。
「これはまだできていないし、作るとも決まっていないでしょう。後藤さんが私たちにまず見せたということは何か協力できることがあるのかと思いますが?」
表情を改めた三人を見回しておごそかに言った。そうです。私は商売人ですし、ここでの利益をもう少し高めないとこんどの四月には路頭に迷います。これはあくまでも商品で、お買い上げいただかなければなりません。そのお話をこれからさせていただきたいのですがよろしいですか?
一斉にうなずかれる頭。その前にとりあえずはということでビールのお代わりを頼んだ。
「問題はですね」
真城が後藤の顔をじっと見つめた。
「これを買うか買わないかじゃないと思うんですよ。堀井さんは遊園地の器具を作られているんでしょう? 問題は、こんな野暮ったいものじゃなくてホーンテッドマンション仕様にするか、ジャングルクルーズ仕様にするか、あとはええと――」
「シンデレラ城でしょ、やっぱり」
あれかよ! と愕然としたように男二人が魔女姫を見つめた。