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わざわざありがとう、と礼を言って電話を切る。そして大沢真琴(おおさわ まこと)はため息をついた。迷宮街にいるはずの知人の消息、もしやと思って尋ねてみたがやはり知らないという。仕方のない話だった。小さいとはいえ街なのだから。
彼女が迷宮街に向かったのは自由を求めてのことだった。高級住宅地に生まれ育ち幼稚園からエスカレーターでお嬢様短大に入った。卒業すると家に押し込められ、習い事と社交に忙殺される日々。絵に描いたような箱入り娘はしかし自分から檻を突き破ることもできず、何かのきっかけを待ち焦がれながら二三歳にまでなった。そしてきっかけが新聞記事としてやってきた。
習い事のために家を出てそのまま新幹線に乗り京都へ。家が騒然とする前に父親の携帯電話に直接電話をかけた。一度でいい。自分で何かやってみたいんです。少し連絡しないけど、日雇いの仕事で安いホテル暮らしだけど一人で生きてみたい。受話器ごしに切々としたそして何より思いつめた様子が伝わったのだろうか、父親はしばらくして好きにせよと言ってくれた。家業をついだ社長業とはいえ長年の人生経験が、娘の危うさを感じていたのかもしれない。条件は二つだけ。携帯電話を契約し番号を教えること、いつでも戻りたくなったら気後れせず戻ってくること。彼女は電話ボックス内で頭を下げた。
体力テストは大変だったものの、師範の資格すら得ている日本舞踊は強靭な身体を作ってくれていた。なんとかパスして仲間を求めた。次に何が起こるか予想できず、しかしそれら全てに自分で立ち向かえる日々。彼女は幸せだった。
最初にできた仲間は同日に試験をパスした戦士で小俣直人(おまた なおと)といった。今思えば明らかに下心があったものの、当時は気づかず親切な人にめぐりあえて嬉しいわと喜び、小俣と一緒にさらに仲間を探した。それは順調に済んだ。
リーダーは一つ年下になる恩田信吾(おんだ しんご)という戦士だった。責任感にあふれ、まっすぐな瞳に好感をもった。自分にとって単なる逃げ場だったこの街、だからどういうところかまでは詳しく知らなかった迷宮街に対して恩田は明確なイメージと目的をもっており、その話を聞くのは楽しかった。恩田は言う。一般の探索者はまだ第四層までしか降りていないんだ。でも、理事の報告では少なくとも第十層まであるって事業団の文書には書いてあった。俺は川口浩になりたいんだ。
大沢家ではテレビ画面に水曜スペシャルが映る事は決してない。だから、恩田の言葉にも「そうなの」とにこやかに笑うことしかしなかった。そんな様子を見て恩田は戸惑い、川口浩を知らないとの返答にお嬢様なんだなあと笑った。まあどことなくそんな感じするけどね。
しかし恩田の態度はそれからも変わらず、彼女が今でも思い出す光景がある。あれは迷宮街に着いて三日目だったろうか、探索者を集めて報酬の支払いなどについての説明が行われた場だった。すでに探索者でも評判になっていた美人姉妹、女だてらに体力テストを危なげなく突破した双子を見かけての会話だった。ほら、と隣りに座った恩田をつついて言った。あの人たちかわいいね。恩田はちらりと見て、気のないようにああそうだねと言ってまた資料に目を落とした。それが嬉しかった。客観的に自分があの姉妹に劣るのはわかっている。しかし、夕べ仲間たちと飲んで酔っている時に恩田が自分をきれいだと誉めてくれたその言葉、それは双子に向けるものよりもずっと気分が入っているものだったから。
それが最後のいい思い出になるのだろうか。それから先のことはあの街では良くあることとて繰言に終わる。初陣で部隊は潰走しメンバーは四散した。生と死を目の当たりにした衝撃の覚めやらなかった彼女は眠れずに真っ赤な目で京都駅発の新幹線に乗った。ただ一人見送りに来てくれた恩田ともろくに話はできず、新幹線に乗り込む直前に「達者で」と言われたのが最後の会話になった。
回想を打ち切りため息をつく。そうか。無事にやっているとだけ知ることができれば、少し気が楽になったのに。
そしてふと思い出した。従妹の言葉のうちの一つ、彼女の仕事の上司でいまは迷宮街にいる人間がNHKの特番で放映されるということ。それはもしかして、あの街の様子をテレビで見られるということなのではないだろうか? 雑誌ラックからテレビガイドをとりだした。NHKの欄だけを眺めていく。あった。一月一一日(あさってだ!)の午後一一時から。
まじめだしかっこいいとは思うけど、テレビの前でしゃべる可能性は低いだろう。でも、後ろをとおりがかることはあるかもしれない。だって、彼は気配り屋だったからメニューやらお手拭やらなにやらかやら、北酒場ではちょこまかと動き回っていたから。あの店のシーンを写せばきっと背後を通り過ぎる。確信があった。
無事ならいいな、そう思いながらその欄を切り抜いてコルクボードに止めた。ビデオに撮ることにしよう。