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片岡宗一(かたおか そういち)はその紙片を見下ろして口をへの字にまげた。その紙片自体は昨日事業団職員の一人から見せられたもの、コピーがコピーを生んでおそらく今では今朝の朝刊の数よりも多く出回っているであろうものだった。
ちなみに1,000人を超える住人が住むこの街だが新聞配達というシステムは存在しない。各紙とも注力するにはパイが小さすぎるからだというし、あるいは理事が強引な勧誘を厭うたのだという話もある。新聞は毎朝七時に道具屋と北酒場に入荷され、読みたいものはそこで買うことになっていた。一部の人間(例えば笠置町葵のような)にとっては新聞よりも重要なスーパーの特売チラシは迷宮街の随所で配布されているために住民からは苦情の声はあがっていなかった。さらにちなみに、競争がまったく存在しないこの街であってもある程度以上の値引きセールを実施するように事業団からスーパーには厳命が下され、外部の相場との価格差をチェックする専門のアルバイト(おもに事業団職員の家族)が毎日六名ずつ配置されている。競争がないのに高値もつけられず特売をさせられるスーパーはさぞかし迷惑だろうかと思いきや、まずもって入荷量をかなり正確に予想できること、そして特売には消費を掘り起こす作用もあるため別に命令されなくてもやるからやはりこの店は恵まれている、とはドライ担当で副店長を務める春日部咲(かすかべ さき)のコメントだった。
昨夜見せられた紙片、そのときはへええと思って作業にかかった。あくまでも探索者でない自分にはそのありがたみはわからなかったし、絵を見る限りその巨大さは自分たち鍛冶師ではなく建設会社の分担だと思えたからだ。それが、仕事が始まると同時に理事と訓練場の魔法使い教官の訪問を受けた。意見を訊きたいという。
「なんとかね、少なくとも五年は壊されないくらい頑丈にしたいのよ」
笠置町茜(かさぎまち あかね)――迷宮探索事業団の理事の一人であり、主に色々な決め事を行っている主婦だった――はそう切り出した。大変な実力をもつ魔女で探索者は一様にその前では萎縮するらしい。現にその隣りにいる鹿島詩穂(かしま しほ)も訓練場の教官を務めるほどに強力な魔女だという話だったが理事を横にして普段の伸びやかなところがなくなっているように思える。もちろん片岡にはそのあたりの感覚はわからない。少し痩せればもっと魅力的なのにと他人事ながら惜しく思う程度だった。
いやムリでしょうというのが片岡の回答で、金属の強度にはまったく疎い魔女二人は接ぎ穂を失って絶句した。
「この絵、描いたのはおそらくその設備業者の技術者でしょう。だとしたらこれ以上ないくらい頑丈に軽量になるように描かれていますよ。それでもこの鎖では脆すぎる。縦穴であるということは空気の移動が激しいということです。その分風化も早いでしょう。普通にしておいても五年は難しい。その上壊そうとするものがいるんでしょう?」
そっかー、と理事はソファにもたれた。鹿島がボールペンの尻でこめかみを掻いた。
「このゴンドラを痛める原因としては何が考えられます?」
そうですね、と考えをめぐらせる。
「まずは空気です。おそらく鉄鋼の表面をステンレスで覆うのでしょうが、鎖は擦れ合うのでその部分のステンレスははげてしまう。そこで酸化が起きます」
鹿島はメモを取りながらうなずく。
「ついでゴンドラの重さ。正確にはどれだけになるかわかりませんが、ゴンドラだけでおそらく1.5トンは下らないでしょう。そこに完全装備の探索者が六人乗り込む。これでおよそ500キロ。それをさらに上下動させるとなるとどれだけの負荷が鎖と滑車にかかるか。それから、これだけシンプルなメカニズムであれば怪物たちが用途を理解する可能性は高いでしょうから悪意のある怪物がいれば壊そうとするかもしれない」
「怪物はどうにもならないわね」
鹿島と二人して理事を見つめる。他の二つはどうにかなるとでも言うのだろうか?
「風化と強度の件は、今ある石をうまく利用してどうにかできないかな?」
ああ、なるほどと思う。理事はこれを訊きにきたのだ。そうして考えた。探索者の協力もあって、迷宮内部で特産される不思議な石が金属の強度を高めること、その影響分布のおおよそのあり方はわかってきた。現に、石をツナギの金属糸にも応用した試作品第一号を本日まさに越谷健二(こしがや けんじ)という戦士が着て潜っているはずだ。そう。これを作る現場の人間としっかりと打ち合わせをすれば、かなり要望に沿えるものができると思えた。なんとかできると思います、もちろん私がその工場につめるのが大前提ですがとうなずいた。理事は嬉しそうに笑った。
「それでもこれだけの器材をどうやって穴の淵まで運ぶおつもりですか? 車は使えないので全て手で運ばなければなりませんが」
「それについては考えがあります」
そう言って隣りに座る訓練場の教官を見つめた。
「鹿島詩穂。あなたに一つ禁術を授けます。使いようによってはこの星を壊せるほどのものだからあくまで私の許可なくしては使えないようにはするけれど」
鹿島の顔がこわばる。その顔は蒼白だった。
「まさか――リトフェイト」
理事がこともなくうなずいた。やり取りが理解できない片岡はただ見守っている。