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苦い顔で受話器を置いた恋人に熱いお茶を淹れなおしてやる。ありがとう、という憮然とした顔に共通の上司である中本勝(なかもと まさる)がどうした? と声をかけた。お勤めのほうか?
水上孝樹(みなかみ たかき)はうなずいた。お勤めとは、彼の家柄に下された特別な役目をいう。今はそれにのっとって週に一日特例の休みをもらって京都に行っていた。もっとも、と下川由美(しもかわ ゆみ)は相変わらず不機嫌そうな恋人の顔を見ながら思う。今の仕事だって十分お勤めの範疇に入るものだった。ここ馬事公苑で管理を依頼されている宮内庁用の特別な馬、血筋からして高貴なその馬の世話は余人にはできず、この施設では水上だけがその身に触れることを(馬に)許されていた。だから彼はここに勤めているのだ。最近はその恋人である自分も認められるようになり、手から飼葉を食べてくれるようになったし引き綱も付けさせてくれるようになった。それでもブラシのかけ方がすこし雑だと見抜かれて鼻面でこづかれる。もちろんこっちもなんだこの馬めとお返しに引っぱたいてやるのだが――何しろ上司の目を盗んでの戦いなので分が悪い。
うちの叔母は、と水上は苦々しげに言う。隻頼(せきらい――馬の名前だ)の世話がどんなに大変かわかってないんですよ。わかってないから、こともあろうに一週間ぶっ続けで京都にいろなんて無茶を言う。冗談じゃないです。
とはいえそちらも大事なんだろう? 中本は宥めるように言った。特例の休みを与えるようにという宮内庁からの依頼を迎えたのは中本で、疲れた、もうあんな連中に頭下げられたくはないとぼやいていた。上司からすれば、ここで水上にゴネられてまた偉いさんがやってくる面倒な事態は避けたいのだろう。隻頼の世話だったら宮内庁から人を派遣してもらえばいいから、旅行のつもりで行ってこい。
でも、と水上は不満げだった。確かにあの人たちなら隻頼も世話をさせますよ。けれどたった二日任せただけでストレスに感じるんです。一週間も会ってやらなかったらどうなることやら。――
言葉をさえぎるように中本が手を上げた。そのあたりは隻頼に我慢してもらうんだな。というより、ここで下村くんだけじゃなくて他の厩務員にも懐いてもらえるようにしたいと思うんだ。でないとお前たち、新婚旅行にも行けないだろうが。
あ、と口をあける横顔を見つめる。その表情のまま数秒いただろうか、それからもっともらしくうなずいた。
「確かに皆さんにも隻頼の世話をできるようになっていただかないと問題でしょうね。ええ。そのためにも一週間ほど、なんならもう少し仕事を離れることにします」
まじめくさった恋人の顔に下村は吹き出した。くすくすと笑いながら、そうだ、私も同じ時期に休みをとって京都に行くことにしようと思いつく。実際は行かなくとも、行く予定にはしよう――脳裏には一つ悪だくみ。