水上孝樹

 13:37

もとの皮膚の色がどうだったのかわからない。しかし六人で見下ろすその化け物の肌は、明らかに不自然な紫色をしていた。禁術の産んだ死の不健康な何かに満たされたその身体はしかしまだ息があり、ずるずると奥へと這っていく。 「なんだかかわいそう」 笠置…

 13:36

先陣を切って走り出した背中を追った。あくまで冷静に、いい奴らだな、と気分が昂揚した。こいつら――大きな男は違うらしいが――だったら可愛い従妹たち(意識の中では妹だったが)を任せて安心だ。激戦を数秒後に控えてなおその心は落ち着いている。眼前にい…

 13:35

たぶんビンゴですよ水上さん。作業員たちがプロの面目躍如であっという間に広げて二人ずつなら通れるようになった空間に入り込んですぐ、常盤浩介(ときわ こうすけ)が言った言葉だった。壁を抜けたそこはかなり広くまっすぐに東に向かっている。ヘッドライ…

 12:59

熱意に満ちた顔が再び意見を上げに来た。この男は、とその正義感は好ましく思いながらも苛立ちを抑えられない。星野幸樹(ほしの こうき)は部下にあたるその士官を睨んだ。 「俺たちにも防衛に加わる許可をください!」 やかましい、と取り付く島なく無視す…

 07:08

葵ちゃん! と嬉しそうな声がして真壁啓一(まかべ けいいち)はそちらを見やった。そこにはそろそろ壮年を過ぎようかという男性が一人立っていた。笠置町葵(かさぎまち あおい)に向かって笑顔を向け久しぶりだなあ、大きくなってと肩を叩いている。葵もそ…

本日の警備終了。今日は9時から物資運搬作業、10時から職人さんたちの護衛を行った。そのまま俺たちは継続で11時〜14時までは濃霧地帯で警備。たまーに怪物の群れに遭遇するだけで特に問題なく。第一層なら別に怖いこともない。でもそんな余裕を言っていられ…

 10:30

男の子なら誰だってあこがれる職業があると水上孝樹(みなかみ たかき)は思っている。「運転手さん」がそれだ。それもタクシーなどではなく電車やバスといった巨大なもの、飛行機や船という非日常的なもの、そして工事現場の機械を操作する姿も子どもの心を…

 19:42

気をつけてね、と伝えて下川由美は受話器を置いた。昨日帰ってきたかと思った恋人は今日の昼番が終わった後また新幹線で京都に向かい、到着したとの連絡だった。今日は夜番なので昨日の夜恋人が職場に顔を出したときにちょっと話しただけである。その声がえ…

普通夢なんてものは起きて十秒も覚えていないもの(少なくとも俺はそうだ)だけど、その朝のいやーな汗にまみれた夢ははっきりと覚えている。第四層を上から見下ろしていた。葵らしき真っ青のツナギをつけた誰かが誰かを抱き起こし、覆い被さる青柳さんの黒…

 23:02

北酒場の一隅、長方形の卓が並ぶ個所で目当ての二人を見つけた。部隊の仲間の戦士である真壁啓一(まかべ けいいち)はすぐに自分に気づいたらしく、ジョッキを持つ手を上げた。その隣りでは姉の翠がぐったりと突っ伏している。笠置町葵(かさぎまち あおい…

 22:57

『あいよう、真壁です』 「翠です」 『うん、どうした?』 「明日ヒマ?」 『お寺めぐり』 「USJのチケットがあるんだけど」 『あ、行きたいな』 「孝樹兄ちゃんにもらったの。由美さんが来れなくなったからって」 『・・・』 「真壁さんと行って来いって…

 22:37

『もしもし孝樹?』 「おう、もう京都に着いたか?」 『それなんだけどさ、実家の用事ができちゃってそっちに行けなくなっちゃったよ』 「あら。なんか大変なこと?」 『ううん、父上が娘と一緒にいたいっていじけてるだけ』 「いやそりゃ大変なことだろ。嫁…

 14:42

苦い顔で受話器を置いた恋人に熱いお茶を淹れなおしてやる。ありがとう、という憮然とした顔に共通の上司である中本勝(なかもと まさる)がどうした? と声をかけた。お勤めのほうか? 水上孝樹(みなかみ たかき)はうなずいた。お勤めとは、彼の家柄に下…

 19:21

エレベーターに乗ると人は階数表示を眺めてしまう――そんな言葉を以前テレビの中から聞いたことがある。最近では『エレベーターに乗ると階数表示を見てしまう人が多い』という法則もまた有名になり、あえて他を、前方か、足元か、携帯(これは多い!)か、あ…

 11:24

どうして子どもたちになつかれるのだろう? とは笠置町葵(かさぎまち あおい)の積年の疑問だった。子どもの相手がうまいわけでもなく笑顔がいいわけでもなく、それでも近所や親類の子どもたちにはよくなつかれた。今日も正月とて集まってきていた子どもた…

京都の冬は厳しいというけれど、まだそれほどは実感していなかった。理由はいくつかあると思う。去年の寒さなんてそれほど意識していないというのが一つ、明らかに東京にいた頃より筋肉の量が増えたので気温に左右されにくくなったというのが一つ、そしてな…

 12:30

「はい翠です」 『真壁です』 「うん、どうしたの?」 『いまどこにいる?』 「伊勢丹。孝樹にいちゃんと」 『お、おお! ということは?』 「下川さんと」 『なんだ、二人きりかと期待したけど――ってことは、水上さんも夕飯一緒に?』 「ううん、京野菜食べ…

 15:23

ツナギの素材や厚さには職業と体力に応じて差はあったが、ブーツはみな同じものだった。スキーのブーツを皮製にしたと思えばいいだろうか。スネの半ばまで覆う牛皮には足の甲に二箇所、足首〜すねに二箇所の留め金があり調節/着脱ができる。かつては紐を使…

大海を知った一日。今日は教官の橋本さんに稽古をつけてもらった。戦士としての真壁啓一にはこれといった特徴はないけれど、バランスよく上達していると思う。最近では第一期の戦士の中でも第二層より上で停滞している人たちとはいい勝負ができるようになっ…

 21:40

知り合いが宴会でもしていないかな、と思って円テーブルのスペースを訪ねた。予想通りに「真壁!」と声がする。真城雪(ましろ ゆき)がジョッキを掲げて呼び寄せていた。珍しいことに同席しているのは普段の仲間たちではない。現時点で第四層に到達している…

 10:31

探索者の戦士たちも第四層に降りるあたりになると、各人の個性や優劣が出はじめると彼らは言っている。いわく、星野幸樹(ほしの こうき)は突き技に長け、真城雪(ましろ ゆき)は鉄剣の重量と遠心力を利用する跳躍戦法のが巧みで、野村悠樹(のむら ゆうき…

天気は良く、めぐり合わせが悪い一日。 訓練場で青柳さんをドライブに誘ったら、午後からお経を上げにいくとか。お坊さんの世界でも常連客がいて、名指しで指名されると断れないのだそうだ。翠でも来ないかなとぼんやり待っていると、姉妹でおめかしで出かけ…

 19:23

迷宮から戻ったアパートで鶏モモ肉100グラム58円とタマゴ一パック88円というビラに気づいてすぐに引き返した。同じように買い溜めする人たちが多いのだろう、普段より混雑した店内でカゴ一杯に商品を詰め込んだ。客がたくさんいただけのことはある。なかなか…

 16:20

四時を過ぎると今日の探索を終えた連中が使用した武器防具が運び込まれてくる。現場のチーフである片岡宗一(かたおか そういち)にとっては一番あわただしい時間帯だった。ひとつずつの状態を見極め、誰なら任せられるかを考え、てきぱきと割り振っていく。…

 13:25

この二日間で屈辱とともに思い知ったのは、人間はついに追いかけっこでネコに勝てないという事実だった。だから、久米錬心(くめ れんしん)からの電話で迷宮街の南外周部にたどりつき、ベンチに座り本を読む神田絵美(かんだ えみ)とその隣りでおとなしく…

 19:20

車両前方の自動ドアが閉まり、笠置町翠(かさぎまち みどり)は息を吐き出した。 かなりきついことを言ってしまったのだろうか。少なくとも「大きなお世話」に属することを言ったという自覚があった。実際は自分の中に昨日からある後悔をぶつけてしまっただ…

 14:50

「やっと着いた…・…」 思わず出てしまった安堵の声は少し大きすぎただろうか。すれ違った家族連れのお母さんがくすりと笑う気配が届いてきた。赤面する。 笠置町翠(かさぎまち みどり)がいるのは東京都世田谷区の一角にある馬事公苑である。JRA(日本中央競…

「ええ? いいよ別に」 従兄の断りの言葉を笠置町葵(かさぎまち あおい)は意外に思った。双子の姉の笠置町翠(かさぎまち みどり)があげようとしたのはたかが遊園地のフリーパス券であり、2枚で1万円だとかそこらのものだったはずだ。それは数日前に従兄…