とことこ歩調を乱したものはもはや怒号とも呼べるサイズの音の塊であり、そして爆発的な大歓声だった。何事だよ、と鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)は小走りに進む。ベスト8決定戦からは統一された会場、最前列から二段目に自分の席は確保されていた。そこに席をもてるのは自分も夫も探索者の最精鋭部隊に所属しているからだ。この街では探索者の間に公式な上下はなく、そのぶんいろいろ曖昧なもので序列を決していた。その最たるものはもちろん年齢だったがそれと同じくらい探索の進度も影響力をもった。その点で自分たち四人は最上のヒエラルキーにおり、今回の席次にもそれは現れている。もっともその一群の中にはこれから試合を控えている葛西紀彦(かさい のりひこ)もいるのだから当然といえば当然だった。
ともあれ、と今日子は夫の隣りに座り込んだ。何やってるのよ星野さんはと夫に問い掛ける。鯉沼昭夫(こいぬま あきお)は自分の部隊のリーダーを苦笑しながら見やり、返答より前に秀美ちゃんの容態は? と問いかけた。
「診療所に運んだときはすごい熱だったんだけど、ついて少ししたら完全に引いた。具合が悪い、というより黒田さんのいじめに対処するためにオーバーヒートしたんじゃないかな、あれって。いまはよーく眠ってるわ。起きたらとりあえず部屋に返すって先生は言ってた」
そうか、と夫は頷いた。戦っている黒田聡(くろだ さとし)にはなかなかわからなかった鈴木秀美(すずき ひでみ)の異変を真っ先に感じ取ったのがこの男である。第四層の戦闘においては常に治療術師は仲間たちの体調に気を配らねばならず、もはや彼らは視聴覚にたよらず各人の体調を察する術を見出していた。その感覚は迷宮内部でしか鋭敏にならないのだがそれでも目の前で高まっていく気合の中一番に気づいたのはやはり治療術師だったのだ。危険を察した彼が隣りにいた妻にその旨を確認し、妻が女帝とともにタンカを用意したといういきさつだった。
で、何があったの? と重ねての問いに手早く事情を説明される。今日子は腑に落ちない点を口に出した。内田の不始末は俺の不始末って、あの二人って仲良かったっけ?
「いやあ」
夫は平然と否定した。どちらかというと佐藤さんの方が星野さんの弟子と言っていいんじゃないかな。たぶんうずうずして混じりたくなったんだよあの人。なるほどねえ、と今日子も納得しつつ苦笑した。星野家とはお互い招きあい(回数が全然違うって? うるさい!)食事をご馳走する家族ぐるみの付き合いをしていた。星野家のお姫様である由真とは「今日子」「由真」と呼び合う仲だ。だからその主の人となりはわかっているつもりだ。それにしても佐藤さんはかわいそうに。内田さんがいなくなるあたりまでは強運の戦士だったのにね。ここまでかな?
どうだろうね、と結論を保留する声は夫の隣りにいる野村悠樹(のむら ゆうき)である。その隣りの葛西に敗れた彼はもうツナギを脱ぎ捨てて気楽な格好だった。わからないよ。途中から出てきてUSJチケット獲るほど星野さんは鬼じゃないでしょ、であれば佐藤さんはやっぱり幸運の戦士だと思うな。葛西も夫もうなずいた。今日子一人が理解できない。
「つまりだ。星野さんの戦い方を一言で表現すると――なんだろう?」
夫の質問に葛西が即答した。
鴨川会長。
「それうまい表現!」 野村が感心したように手を叩いた。今日子はもちろんわからない。
いやだから、誰よそれ? しかし二人は納得したように深く頷く。