光の中に突然うかびあがったひょっとこのお面にぎょっとした。凝視する中で白い手がそのお面をはずすと理事の娘で自分が下した女剣士の笑顔があった。そうか、この娘との勝負も大変だったと黒田聡(くろだ さとし)はしみじみと思う。手にしたお面をつけて登場した娘、そしていまそれをつけている娘。実は自分も大変な道だったな、と改めて実感した。そしてこの入場を考え付いた誰かに感謝した。
「入場は派手にしなきゃね!」 そう主張する部隊のリーダーに連れられ、もう薄暗い寒空に追い出された。動くたびに鈍く響く頭痛を何とか我慢しながら、身体が冷えないようにと小刻みにゆすぶっている。あまり寒いので押しくらまんじゅうのつもりでリーダーに体当たりしたら、高田まり子(たかだ まりこ)の頭が鉄の扉の間に音を立てた。中からは「まだだよ!」という誰かの声が響いた。
そんなことをしながら数分も待たなかったろうか? 開かれた扉の向こうは真っ暗で、自分が登ってきたトーナメントの半分で出場していた戦士たちが列を作っていた。黒田が直接にしろ間接的にしろ下してきた顔ぶれはみな自分の勝ちを信じて祈ってくれておりそれが気を昂ぶらせた。
「黒田さん、勝ってよね!」
お面をつけていた娘の声が背中を叩く。彼女にはどちらかといえば敬遠もしくは軽蔑されていると感じていたのだが。いい年しておぼこい娘だと思っていたのだが。それがこの熱烈な声援は何事だろうか? 疑問は続く言葉で氷解した。
「黒田さんが勝てば私がナンバーツーだから!」
なるほど、そういうことか。彼女は自分以外に負けていないのだから強弁が可能なのだった。寺島薫(てらしま かおる)と手を打ち合わせながら思わず苦笑していた。
それにしても、寺島も自分と同じ山にいたのだ。知識として知ってはいたが、目の当たりにするとやはり今日の自分は組み合わせの運に恵まれていたと再確認する思いだった。何しろ寺島は向かい合って五本のうち三本取れるかどうかの相手なのだ。それが、と幾人かあとに浮かび上がった男にも笑いかける。この男、野村悠樹(のむら ゆうき)の方が寺島と早く当たると知って安堵したのだ。寺島と野村という強敵同士がつぶしあってくれるトーナメント表を見たときに優勝はもらったと確信したものだ。もっとも、その後の展開はまったく自分の予想とは違ったが。
少し歩くと厚みのある身体が光の円に入ってきた。部隊の仲間でもある巨人が鍋つかみのように分厚い手のひらを向けていた。ちょっといたずら心をだして木剣を床に置き、その両手のひらに見よう見まねの左ジャブを放った。巨大な手のひらはそれだけの衝撃を予期していなかったのだろう、ほぼ同時に身体の前から跳ね除けられていた。そして懐に踏み込んで右こぶしを下腹に叩き込んだ。
膝をついた巨人に列からは喝采が、会場からは怒号が湧き上がった。今の動きがもたらした盛大な頭痛をなるべく表に出さぬよう、何食わぬ顔で木剣を拾い上げた。なんのことはない、先ほど木刀の弾丸を受け止めて湿布を貼っていたところを寸分たがわずに殴っただけだがそんなことを知らない人間は大喜びだろう。
そして列の最後の顔が目に映り、葛西紀彦(かさい のりひこ)の顔に思わず「ゲ」と呟いてしまった。しかし葛西は隣でうずくまる巨人と自分を呆然として見比べるだけだ。その目に恐怖がよぎっていることを感じ取り、危うくあとじさりそうになった動きを押しとどめることができた。笑顔を向けると葛西はようやくほっとしたように、勝て! と吼えた。手を軽く上げて答える。
葛西の脇を通り過ぎた直後に背中を強く叩かれた。それは予想もしていなかったことで、ぶざまにたたらを踏んで試合場を囲む白線を越えてしまった。声援がわきあがる。中央には対戦相手である国村光(くにむら ひかる)が自分を待っている。
散々木刀をぶつけられた男は、しかし調子が良さそうだった。
こっちもいいですよ、国村さん。黒田は心の中で話しかける。
前の試合がおわってからずっと、散々彼を悩ませていた頭痛は加害者の応援の張り手でどこかへ飛んでいってしまったようだった。