2003-10-10から1日間の記事一覧

「・・・黒田くん」 その声だけを聞いた者がいたとする。そしてその人間が本日この街で剣術トーナメントが行われたとだけ知ったとする。それでも絶対に、その誰かはトーナメントの準優勝者とドアの向こうからもれてくる声の主を一致はさせるまい。黒田聡(く…

ありがとうございました、と下げられた頭に笠置町翠(かさぎまち みどり)は微笑んだ。昼ごろからすっかりお騒がせだった女子高生たちももう帰るという。ほっとするような、なんだか寂しいような複雑な気持ちだった。 もともと、試合後のこれからこそ彼女た…

礼を終えて振り向いた黒田聡(くろだ さとし)の身体が揺れた。ああ、音ってのは空気の振動なのだなと実感させてくれるほどの拍手と喝采が自分と国村光(くにむら ひかる)に向けて降り注がれている。左肩の付け根はずきずきと痛んだけれど、自由になる右腕…

国村光(くにむら ひかる)がその場に倒れこんだ姿を見て鯉沼今日子(こいぬま きょうこ)は思わず立ち上がった。決定打がなかったためにこの場での即座の治療術は必要ないかと思っていたがもしかしたら国村の容態は悪いのかもしれない。試合場に駆け込もう…

「降参してください、国村さん。今の俺は寸止めができません」 静謐な表情をしたままのその言葉に国村光(くにむら ひかる)は自分の敗北を悟った。うそをつける顔ではなく、であれば、うかつに動かれたら相手を殺さずにはいられない境地にまで黒田聡(くろ…

何をしたいかはもう決まっていた。そのために何をするべきかの計算ももう済んでいた。その計算式はすべて破棄し結果だけを心に刻み、そのために行動に迷いは起こさない。黒田聡(くろだ さとし)はただ彫像のように木剣を振りかぶりこ揺るぎもしない。 向か…

すでに三度の突きを放っており、勝負はまだついていない。黒田聡(くろだ さとし)はさきほどの突きの射程距離に怖れをなしたのか大きく跳び退ってかわすだけで反撃まではできないようだった。そうでなければ困る、と国村光(くにむら ひかる)は焦りをかす…

真壁啓一(まかべ けいいち)が大きく息を吐き出してようやく、縁川かんな(よりかわ かんな)は自分の身を縛る何かが消えたことに気づいた。それまで行われたのはたったの一動作だった。国村という男が突き、黒田という男はそれをバク転でかわすという。そ…

開始の声と同時に構えたのは、国村光(くにむら ひかる)の奇襲を恐れてのことだ。とはいっても開始と同時に切りかかるといった簡単な話ではない。こちらの気が満ちている状態でも間合いにいればすべての行動が奇襲になるのが目の前の男だった。 戦闘におけ…

光の中に突然うかびあがったひょっとこのお面にぎょっとした。凝視する中で白い手がそのお面をはずすと理事の娘で自分が下した女剣士の笑顔があった。そうか、この娘との勝負も大変だったと黒田聡(くろだ さとし)はしみじみと思う。手にしたお面をつけて登…

目を閉じたままでも周囲には気を配っており、平べったい音を上げるスリッパの足が自分をめがけてやって来ることに気づいていた。だから、来客が声をかける前に国村光(くにむら ひかる)が顔をあげたことで神田絵美(かんだ えみ)は驚いて立ちすくんだ。 「…

心配していた太腿は骨折などしていなかったようで、国村光(くにむら ひかる)はほっと安堵のため息をもらした。さすがにぶあつい筋肉に守られているだけのことはあり、ここに比べたら右胸の方が怪我としては重いと触診を終えた今ならばわかる。それなのに試…

小声で名前を呼ばれ、黒田聡(くろだ さとし)は薄目を開いた。それだけの動きでこめかみが鋭く痛んだが、顔をしかめたことを察したのだろうか? 見下ろす人影の表情が曇ったことに気づくとあわてて笑顔を浮かべた。気のせいかもしれないが、顔を笑顔に保て…