探索者に対する批判でもっともふさわしくないものは吝嗇だったが金銭に無頓着であるわけでは決してない。明日をも知れぬ身であるから金には恬淡としており、高額の出費を担うことも高額の収入を求めることもごく自然に身についた態度だった。屠った生き物のどの部位に価値ある成分が潤沢に含まれるかという経験の蓄積は、戦闘の記録よりも大量に積み重ねられているのだ。そしてその知識を豊富に備え死体の採取に高い効率を実現できる探索者は、生き残る能力が高い者と同じく純粋な敬意を受けるのが常である。
そんな街に古くから住まう黒田聡(くろだ さとし)だったから、当然目の前に高い金額を提示されて拒否をするはずはない。トーナメントの商品として手に入れた三種類のチケットのうち、温泉旅館の宿泊券とUSJのチケットには使い道があった。前者は会社経営という定年のない職業に奔走する両親を強制的に旅行させる理由として都合がよく、後者は一日のデートに便利な――自分にとっては何度行ったか数えられないような場所だったが――場所にチケット手配の面倒を省いて行けるものなのだから。
しかし、千葉にある遊園地の優先宿泊券は違う。それを目の前に提示されたても処理に困るのだった。つとめて特定の異性と深い関係を結ばないように心がけるため、そのような重い(相手の心の中に残る)旅行をするつもりはないのだから。かといって一人で行って楽しい場所とも思えない。男友達を誘っても断られるか殴られるだろう。
厄介者を他人に売ろうと思ったのは自然な心の流れであり、競売という形にしたのは少しでも高い売値を期待したためだ。ネットオークションでしばしば予算以上の落札価格で自動車の部品を買ってしまう経験から、競売形式の効果は信頼していた。
しかし、としんと静まった視線の中で考えた。
それでも自分が設定していた目標はできれば6万円というものだった。いくら人気ある遊園地の人気のあるホテルとはいえ、一泊とフリーパス券が二人ぶんで6万円を超えるようでは許されないと思う。目標は6万円、それでも5万円を超えれば仲間たちとの今夜の飲み食いは全て払うことができるだろう。そんな皮算用だったのだ。それがいきなり崩された。予想もしない、到底受け入れられない高値をつけられることによって。一つ息を吸い込んで佐藤良輔(さとう りょうすけ)の目を見据えた。
強い光に迎え撃たれて思わず身がまえる自分に驚く。この若者にはしばしば稽古をつけていたが、これほどの気迫を備えていたのか?
「あのさあ、佐藤くん。10万はあんまりだろう10万は。たかが遊園地の券だぞ? 一日分だぞ?」
「11万!」
え、と目を見開く。いまこの男はなんと言った?
「ちょっと待て落ち着け。俺は10万は高すぎると言ってるんだ。そんな値段で売れるわけないだろう」
「12万!」
やばい、と呆然とつぶやいた。理由はわからないけれど、目の前の男には自分の言葉が聞こえていない。そして身体が戦闘状態に入っている。ビリー・ザ・キッドと面と向かった人間はこんな感じだったのだろうか。動けば撃たれる、という恐怖である。自分の場合は口を出せばさらに値段を上げられる、だったけれど。
自分が気圧され怯えていることを実感していた。え、ええと、と口ごもった。
「わかった、そんなに欲しいんだったら3万でどうだ」
「13万!」
「25,000じゃあ」
「14万!」
だめだ。言葉が届かない。でもこのままでは埒があかなかった。提示される金額が国を買えるような数字になる前になんとか決着をつけなければならない。
簡単なのは一言「売った!」と叫ぶことだがそれはしたくなかった。遊園地のチケットを14万円で売りつけるなどと、まるで弱いものいじめみたいではないか。いじめられているのがどちらなのかが良くわからなかったが。
金額を言うとそれがトリガーになるのかな。
「じゃあ、佐藤くんがもらったUSJのチケットと交換というのは――」
「15万!」
この野郎ぶん殴ってやろうか。黒い衝動が胸の中に湧き上がった。鎖骨両方とも叩き折って懐に強引にチケットをねじこめば俺は解放されるんじゃないだろうか。
一流の戦士の本分は激動の中での決断力にある。右腕がすぐそばの机の上のビール瓶を探ったとき、その動きを一つの声が止めた。
佐藤! と低く鋭い声はムチのように響き渡り、壊れたテープレコーダーを人間に引き戻したようだった。二人して眺めた声の主は国村光(くにむら ひかる)という。この大会の準優勝者である。
「せっかく黒田くんがUSJチケットとの交換でいいって言ってくれてるんだ。好意を受けたらどうなんだ?」
佐藤は目を数回またたかせて黒田の顔を覗き込んだ。憑かれたような輝きはすっかりと消えうせていた。え? と驚きと喜びが声にあふれている。
「交換でいいんですか? でもそれって不公平じゃないですか?」
何を言っているんだろうこの男は。黒田はぼんやりと考えた。わけがわからない。
「せめてそこにいくらかお金を」
黒田は慌てて手を振った。早く決着をつけないといつまたスイッチが入るかわからないと思ったからだ。
「俺にとってはUSJの方が嬉しいからさ、何度でも行きたいし」
何人とでもでしょ? とすぐそばの席の女性が投げた言葉に肩をすくめる。それでようやく佐藤は笑顔になった。
「すみません黒田さん、甘えます。どうしてもそのチケットは欲しかったんです」
そりゃよーくわかったよ。黒田は胸の中でつぶやき、国村に笑顔を向けた。助かりました。そう言外に込めたつもりだった。国村は鷹揚に微笑んだ。
「まあ俺がでしゃばることでもなかったみたいだけど、たかがミラコスタのために大の男が二人必死になるのもみっともないからな」
まったくです。感謝と尊敬の念をこめてうなずく。
確かに試合は自分が勝ったのかもしれない。でもそれは幸運が左右するものでもあるだろうし、チャンバラで強いからっていったい何の自慢になるだろうか? そう思わざるを得なかった。それよりも、自分がどうにもできなかった難敵を一言で鎮めてのけたのだ、この男は。
「じゃあお前らの間で交換で決まったな? なら俺はもう行くから」
なんだかそわそわしているのは列車の時間があるからだろうか。少なくとも明日は会社づとめがある男だった。店内のいたるところから投げかけられる送別の言葉に軽く手を挙げるだけで進む背中に感動を覚え、深く頭を下げた。