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連休のうちに電話で快諾を伝えてはいたが、それでも出勤して立ち上げたグループウェアソフトに自分の辞令を知らされたときにはさすがに言葉に詰まった。


後藤誠司。
一二月一五日付けをもって右を関西営業部京都支店迷宮街出張所長に命ず。


懇意にしている田垣専務の行動力には常々敬服していたがそれにしてもこの処置には意気込みが見えるようだった。今日から準備をはじめなければならない、とアシスタントの大沢美紀(おおさわ みき)には迷宮街からの仕入れに関する社内情報を集めて整理するように依頼する。そして外回りに出た。残された期間は一ヶ月ない。引継ぎは今日からでも開始しなければならず、100社近い担当顧客にはすぐにも転属を説明しなければならなかった。
夕刻になって社に戻った後藤は、自分と大沢の共有フォルダの中に巨大な文書ファイルを発見した。彼女は取引先の娘で、高校卒業ですぐ入社したいわゆるコネ入社(婿取り入社ともいう)だったが能力と仕事の確実さは信頼している。一見したところよくまとめられているようだった。加えてディスプレイには付箋が貼ってあった。
「私の従姉がもと探索者です」
できれば経験者に空気を聞きたいと思っていたが世の中は案外狭いものだ。引き合わせてもらえるように翌朝頼むことにしよう。そしてデータを読み込んでいった。
まずうめいたのはその利益率の低さだった。独占しているなら50%はほしいというのに、今はたったの20%でしかない。これでは株主に突き上げられなくても早晩何とかしようと思ったはずだ。うちだけが独占し、死体から化学物質を抽出する設備もそれを操作する技師もうちの社員である。迷宮街側としては「じゃあ明日から他のところに売るから」と強気に出ることも難しい状況だった。なんといっても毎日1,000万円近くの売上があるのだから。最悪のケースとして想定していたものは、うちを切り捨てたあとで後釜の企業が見つかるまで迷宮探索事業団が自腹で死体を買い上げることだったが、日計1,000万円の取引高でそれをやったら事業団がつぶれる。これならもっと買い手が強気に出てもいい。迷宮街の担当者はそれほどの無能者なのか? と現在の迷宮街出張所所長のデータを見た。榊原美樹(さかきばら よしき)という名前と、実直そうな初老の男性の顔が写った。経歴を見れば迷宮街が開放されてからずっと勤めている。少なくとも(その利益率の低さが直撃している)関西営業部長が納得するだけの人物であることは確かだった。
「何かあるな…・…」
自分が想像したことのない何かがそこにはきっとある。血が熱くなってくるのを感じ、後藤はにいっと笑った。両目じり、唇が釣りあがったその笑いに気づいてあわてて打ち消す。子供なら泣き出しそうな悪相になっていたはずだ。
気をつけないと婚約者に逃げられてしまう。